Mickey-sonのホーム登山の部屋→日本百名山

深田久弥

「日本百名山」

百名山地図

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山名

標高

深田久弥の紹介文

利尻岳
りしりだけ

1、719m

礼文島から眺めた夕方の利尻岳の美しく烈しい姿を、私は忘れることが出来ない。海一つ距ててそれは立っていた。利尻富士と呼ばれる整った形よりも、むしろ鋭い岩のそそり立つ形で、それは立っていた。岩は落日で黄金色に染められていた。

羅臼岳
らうすだけ

1、661m

知床半島というのは細長い山脈の突出であって、ほとんど平地がない。海のきわまで山が迫っている。その山脈のおもな峰々を半島の付け根の方から数えていくと、海別岳、遠音別岳、羅臼岳、硫黄山、知床岳などがあり、羅臼岳が最も高い。

斜里岳
しゃりだけ

1、545m

北海道の山はたいていそうであるように、斜里岳も登山の歴史は新しい。この美しいピラミッドの山に、土地の人さえ登ろうとする者がなかったが、昭和2年5月、西北麓の三井農場からスキーで登った者が最初とされている。

阿寒岳
あかんだけ

1、503m

阿寒には雄阿寒、雌阿寒があって、高さは後者の方が上でだが、眺めて立派なのは前者である。雌阿寒は全体がなだらかで、湖畔から離れているが、雄阿寒は力強い端正な円錐形で、ただちに湖面に影を落としている。

大雪山
たいせつざん

2、290m

古い5万分の1図幅にも、ヌタクカムウシュペを主にして、大雪山は括弧の中に入っていた。(略)アイヌ名は次第に影を潜めていくばかりであろう。北海道の山名にアイヌ語が存在することは、私たち古典主義者には大変なつかしいのだが、時世の勢いには如何ともしがたいる

トムラウシ

2、141m

美瑛富士の頂上から北を見ると、尾根の長いオプタテシケの彼方に、ひときわ高く、荒々しい岩峰を牛の角のようにもたげたダイナミックな山がある。それがトムラウシであった。それは私の心を強く捕らえた。あれには登らねばならぬ。私はそう決心した。

十勝岳
とかちだけ

2、077m

十勝岳に源を発した川が美瑛の町を流れている。松浦武四郎が初めてこの地にきて、その川の水を飲もうとすると、アイヌ人が「ピイエ、「ピイエ」と叫んで留めた。ピイエとは油ぎったという意で、それは十勝岳に噴く硫黄が混ざっていたからである。

幌尻岳
ぽろしりだけ

2、052m

幌尻岳は日高山脈の最高峰である。(略)この山脈から、もう1つ山を選ぶとしたらどれだろう、という疑問が、まだ地図でしか日高を知らぬ私の胸に久しく宿っていた。そしてこの地域の山々に詳しい人々が、、異口同音に教えてくれたのが幌尻岳であった。

後方羊蹄山
しりべしやま

1、893m

この山を単に羊蹄山と略して呼ぶことに私は強く反対する。古く「日本書紀」斉明朝5年(659年)にすでに後方羊蹄山と記された歴史的な名前である。(略)後方羊蹄山の後方を「しりへ」(すなわちウシロの意)、羊蹄を「し」と読ませたのである。

岩木山
いわきさん

1、625m

石坂さんは弘前生まれである。そこから朝夕岩木山を眺め、その習俗に浸って育った人であるから、その後の作品にも岩木山周辺がよくでてくる。弘前から眺めた岩木山は津軽富士と呼ばれるだけあって、まことに見事である。

八甲田山
はっこうださん

1、585m

八甲田という名称が、この山の性質を表している。前岳、田茂萢岳、赤倉岳、井戸岳、大岳、小岳、石倉岳、高田大岳の八つの峰と、その山中の所々に湿地、つまり田が多いので、八甲田と名付けられたと伝えられている。

八幡平
はちまんたい

1、614m

しかし八幡平の真価は、やはり高原逍遙にあるだろう。一枚の大きな平坦な原ではなく、緩い傾斜を持った高低のある高原で、気持ちのいい岱を一つ横切ると見事な原始林へ入ったり、一つの丘を越すと思いがけなく沼があったりして、その変化のある風景がおもしろい。

岩手山
いわてさん

2、041m

岩手県が生んだ幾多の人材、それらの精神の上に岩手山が投影せずにはおかなかっただろう。雄偉にして重厚、東北人の土性骨を象徴するような山である。かつて名門盛岡中学の少年たちは、これを仰ぎながら学び且つ遊んだ。石川啄木もその一人であった。

早池峰
はやちね

1、914m

谷文晁の「日本名山図会」には太平洋側から見た早池峰が描かれている。多分宮古あたりの港とおぼしき風景を前にして、まるで拳をあげたような突兀とした山に描かれている。(略)絵に誇張があるのは承知していても、こんなに鮮やかに大きく見えるのであろうか。

鳥海山
ちょうかいざん

2、237m

名山と呼ばれるにはいろいろの見地があるが、山容秀麗という資格では、鳥海山は他に落ちない。眼路限りなく広がった庄内平野の北の果てに、毅然とそびえ立ったこの山を眺めると、昔から東北第一の名峰とあがめられてきたことも納得できる。

月山
がっさん

1、980m

優しく-それが月山である。北の鳥海の鋭い金字塔と対照するように、それは優しい。田山花袋の「山水小記」は、北海道をのぞいて日本の北から南までの印象的旅行記で、その旅情にあふれた文章を私は愛しているが、一番はじめに月山が出てくる。

朝日岳
あさひだけ

1、870m

その中で朝日が一番原始的な面影を残している。私が初めて朝日連峰を縦走したのは大正15年(1926年)の昔だが、その頃はもちろん山小屋などなく、道さえ定かでない箇所もあった。朝日登山の話をしても、そんな山はどこにあるかという顔をされたものである。

蔵王山
ざおうさん

1、841m

同じ東北の山でも、蔵王には、鳥海や岩手のような独立孤高の姿勢がない。群雄並立といった感じで、その群雄を圧してそびえ立つ盟主がない。(略)もし最高点を盟主とするならば、それは熊野岳であって、その細長い頂の一端に、斎藤茂吉の歌碑が建っている。

飯豊山
いいでさん

2、128m

飯豊が信仰の山となったのは、米沢盆地や会津盆地から、越後の平野から、遙かに望まれる高峰だったからであろう。しかい奥の方に存在する山であるから、ふつうの旅行者がこの山を眼で捕らえるのはむずかしい。

吾妻山
あずまやま

2、024m

一口に吾妻山と呼んでも、これほど茫然としてつかみどころのない山もあるまい。福島と山形の両県にまたがる大きな山群で、人はよく吾妻山に行って来たというが、それは大ていこの山群のほんの一部に過ぎない。

安達太良山
あだたらやま

1、700m

地図の上では、その一連の峰に、箕ノ輪山、鉄山、矢筈ノ森、和尚山などの名が付されて、その中央の乳首のような円錐峰が安達太良山となっている。(略)しかし万葉集や智恵子が安達太良山と見たのは、その小さな乳首だけでなしに、その全体を指してのことだろう。

磐梯山
ばんだいさん

1、819m

郡山を出た磐越西線の汽車が山地を通って中山トンネルを抜け出た時、不意に目の前に現れる猪苗代湖の明るい風景におどろくと同時に、旅客はその傍らに立つ磐梯山の雄姿に、思わず声を上げずにおられないだろう。(略)この山と湖とどちら一つ欠いてもいけない。

会津駒ケ岳
あいづこまががだけ

2、132m

「新編会津風土記」には「五峰アリ。東北ニ綿延スルコト八里余、残雪駒様ヲ成ス」とある。駒様ヲ成ス だけでは、残雪の一部が駒の形になるのか、残雪の山全体を駒の走る勢いに見たのか、ハッキリしないが、私は後者だと判断する。実際に上ってみてそう感じたのである。 

那須岳
なすだけ

1、917m

那須がそれほど昔から有名になったのも、関東から寂しい奥州路に入る口に当たっていたからであろう。(略)東北本線の西那須野から黒磯あたりまで、その広漠たる原が続く。山の好きな者にとっては、その果てに並び立った山の姿から眼が離せない。

魚沼駒ケ岳
うおぬまこまがだけ

2、003m

魚沼三山は水無川の上流を包んで三角形に立っている。そのうち一番高いのは中ノ岳2085m、一番名の聞こえているのは信仰登山でにぎわう八海山であるが、私があえて三山の代表として駒ケ岳を挙げたのは、山としてこれが一番立派だからである。  

平ケ岳
ひらがだけ

2、140m

その次は、大正9年(1920年)、木暮理太郎が利根川源頭の山脈を縦走して平ケ岳の頂上に立った。(略)猛烈な藪こぎだったそうである。その記録は木暮さんの「山の憶い出」上巻に、利根川水源地の山々」と題して載っている。

巻機山
まきはたやま

1、960m

上越線が計画された時も、この旧清水峠を通じるものと、現在の線路と2つの案があったそうである。もし前者が採用されていたら(略)柄沢山、米子頭山、巻機山の連峰が、もっと世に現れただろう。これらの山々の中で、最も高く、もっとも立派なのが巻機山である。

燧ケ岳
ひうちがだけ

2、356m

この山を開いたのは、桧枝岐村の平野長蔵氏で、20歳の明治22年(1889年)8月29日燧岳に登り、更に9月24日頂上に石祠を建設した。その後沼畔に長蔵小屋を建て、尾瀬沼山人と名乗ってその一生を尾瀬の開発と擁護に捧げた。

至仏山
しぶつさん

2、228m

まだ尾瀬が近年のように繁昌しない戦前のある6月、原の一端にある桧枝岐小屋に泊まって、そこから見た至仏山が忘れられない。広漠とした湿原の彼方遠く白樺の混ざった立木が並んで、その上に、悠揚迫らずといった感じで至仏山が立っていた。

谷川岳
たにがわだけ

1、963m

東京から近く、二千米に近い高度を持ち、しかも標高のわりに岩根こごしい高山的風貌を備えているからであろうが、やはり人気の大きな理由は、谷川岳という評判にあるのだろう。これほどしばしば人の耳を打つ山の名は少ない。絶えず何か事件を起こしている。

雨飾山
あまかざりやま

1、963m

しかしそれは、街道のすぐ左手に立ち並んだ後立山連峰の威圧的な壮観に眼を奪われる旅行者にはほとんど気付かれぬ、つつましやかな、むしろ可愛らしいと言いたいような山であった。私はその山に心を惹かれた。雨飾山という名も気に入った。

苗場山
なえばさん

2、145m

終戦後私は越後湯沢に住んだことがあって、その裏の大峰へ幾度か登ったが、たしかにこの頂上からも神楽ヶ峰が邪魔して、苗場山が見えなかった。大峰から高津倉山の方へ進むと、初めてあの厖大な背を持った苗場が現れてきた。

妙高山
みょうこうさん

2、446m

こしの中山と呼ばれただけあって、妙高山は越後の名山である。越後富士とも称せられる。越後のみならず、私は日本の名山と思っている。その均整のとれた山容の気品と言い、ドッシリと安定した量感と言い、伸びやかな裾野の雄大さと言い、名山としての名に恥じない。

火打山
ひうちやま

2、462m

しかしよく見ると火打は立派な山である。その悠揚とした姿にすっかり惚れてしまった眼を隣に移すと、妙高や焼のキチンとした纒まりが却って見劣りする。3つの中では火打が最も高い。のみならず、緯度的に見て、火打より北に火打より高い山はない。

高妻山
たかつまやま

2、353m

朝の四時に中社の宿を出て、戸隠牧場まで爽やかな夜明けを歩き、そこから一不動に登った。そこから先、尾根伝いになる。道ばたに稀に石の祠が見つかったのは、昔の霊場巡りの名残であろう。五地蔵から二つのコブを越えて、高妻山への長い登りは急峻で、実に辛かった。

男体山
なんたいさん

2、484m

男体山と言う名前はどこから来たか。私はこう考える。昔から我が国には二峰並立の山を、一を男神ちし、他を女神にとする習わしがある。(略)男体山もそれと同じく、双峰というわけではないが、同じ山続きの女峰山と相対して付けられた名前であろう。

奥白根山
おくしらねさん

2、578m

この山について一番詳しく書かれた一番古い本は、植田孟縉の「日光山志」第四巻(天保七年刊)であって、その記事では、外輪山の一峰を前白根山、その西の本峰を奥白根山と呼んでいる。普通日光白根山と呼んでいるのは草津の白根山と区別するためである。

皇海山
すかいさん

2、144m

この山に更に私の興味を引きつけたのは、その登山記であった。大正八年(1919年)木暮さんと藤島敏男さんの二人で、登山路を探し求めながら、苦労の末頂上に達した紀行である。その頃はまだ日本にも(略)本当の山登りの楽しみを味わえる山があったのである。

武尊山
ほたかやま

2、158m

日本武尊の東征と山とは縁が深い。碓日峠、四阿山、両神山、武甲山、神坂峠、それから伊吹山へと、みなこの古えの武将の言い伝えが残っている。そして武尊山に至っては、名前まで同じである。しかしここには伝説があるだけで、拠るべき旧記がない。

赤城山
あかぎさん

1、828m

赤城ほど人に親しまれてきた山も少ない。と言っても、宗教とか信仰とかの古くさい日本的な山でなく、高原と湖と牧場の洋画的風景が近代人の嗜好に応じたのであろう。志賀直哉氏の短編「焚火」を初めとして、赤城の自然は、早くから多くの文化人によって語られてきた。

草津白根山
くさつしらねさん

2、162m

この山の南方約三粁に本白根山がある。こちらの方が十数米高いから、これを草津白根の本峰と見なすべきかもしれない。(略)本白根山の頂上は匐松やコケモモの生い茂っている高山帯で、まず何より、そこから見下ろした六里ヶ原の大観におどろく。

四阿山
あずまやさん

2、333m

信越線の植田に近づくと、神川(四阿山から流れる川)の谷の奥に、遙かにこの山の望まれる所がある。頂上がやや左に傾いた屋根型をして、その右端に乳首のような丘が盛り上がっている。いい形である。昔の人はただどんな山でも名山とは呼ばなかった。

浅間山
あさまやま

2、542m

日本中部の山に登る人は、それがどこの山であろうと、そこから浅間山を見逃すことはないだろう。その孤立した大きな山容と、まるで自己の標識のように煙を上げているので、すぐに見当てることができる。(略)浅間ほどどこからでも見える山はない。

筑波山
つくばさん

  867m

関東諸国の男女は、春花の咲く頃、秋紅葉の節、相たずさえて登り、山上で御馳走を拡げ、歌を歌って舞い楽しみ,そこで夜を過ごす者もあった。(略)わが国では宗教登山が最初のように言われるが、筑波山のような大衆の遊楽登山も早くから行われていたのである。

白馬岳
しろうまだけ

2、933m

この立派な山に、以前は信州側にはこれという名前が無く、単に西山と呼ばれていた。それがいつ頃からか代馬岳と名付けられ、それが現在の白馬岳と変わった。(略)それによってハクバという発音が生じ、今では大半の人がハクバ山と誤って呼ぶようになっている。

五竜岳
ごりゅうだけ

2、814m

それはまるで岩のコブだらけの、筋骨隆々といった上体を表している。(略)更に立派な五竜岳を見たい人は、唐松岳の上から眺めることだ。そこからの五竜は壮大である。越中側の餓鬼谷の底から頂上まで一気にせり上げた姿勢は、実に堂々としている。

鹿島槍岳
かしまやりだけ

2、890m

 鹿島槍は私の大好きな山である。高い所に立って北アルプス連嶺が見えてくると、まず私の眼の探すのは、双耳峰を持ったこの山である。北槍と南槍の両峰がキッとせり上がっていて、その2つをつなぐ、やや傾いた吊尾根、その品の良い美しさは見飽きることがない。 

剣岳
つるぎだけ

2、998m

何よりその風采の豪毅にして颯爽たる点である。日本アルプスの高峰にはそれぞれの風格があるけれど、一つの尖端を頂点として胸の透くようなスッキリした金字塔を作っているのは、この剣岳と甲斐駒ヶ岳ぐらいであろう。

立山
たてやま

3、015m

立山まいりの白衣姿は全国から集まった。立山権現の功徳もさることながら、この山が非常に変化に富んでいて、登山の楽しみが多いことも魅力の一つであっただろう。芦峅から頂上までの旧道には、昔の繁栄を忍ばせるような伝説や古蹟が至るところに残っている。 

薬師岳
やくしだけ

2,926m

立山の弥陀ヶ原まで上がってきて、まず眼を惹くのはこの薬師岳だろう。南北に長い山の背を、弥陀ヶ原からは縦に望むことになるので、山の形が引緊まって、堂々とした貫禄のある山に見える。そのヴォリュームの大きさを満喫するには、雲ノ平から望めばよい。

黒部五郎岳
くろべごろうだけ

2、840m

もしそれぞれの人に、こころの山があるとしたら、中村清太郎さんのそれは黒部五郎岳に違いない。画伯は中学生の頃すでに白馬の頂上から、笠ヶ岳に似たこの山を遠望して、非常に惹かれたという。

黒岳
くろだけ

2、978m

黒岳からの眺めは全くそれを絶っている。(略)俗塵を払った仙境に住む高士のおもかげをこの山は持っている。

鷲羽岳
わしばだけ

2、924m

ところが鷲羽岳は(略)元禄十年(1697年)の奥山廻りの記録以来その名が現れているのである。当時は鷲ノ羽ヶ岳と言った。

槍ケ岳
やりがだけ

3、180m

私たちがどこかの山に登って、「あ、富士が見える!」と喜ぶのと同様に、「あ、槍が見える!」という叫び声を聞く。実際そのユニークな岩の穂は見粉うことはない。ひと眼で認め得るのである。どこから見てもその鋭い三角錐は変えることがない。

穂高岳
ほたかだけ

3、190m

明治の末年頃から、日本山岳会の先輩たちが相次いで登り、それまで一括して穂高と呼ばれた岩峰群に、北穂高、奥穂高、涸沢岳、前穂高、西穂高、明神岳という風に、それぞれの名称が与えられるようになった。その最高は奥穂であってわが国第三位である。

常念岳
じょうねんだけ

2、857m

六十年も前にウェストンが言っている。「松本付近から仰ぐすべての峰の中で、常念岳の優雅な三角形ほど、見る者に印象を与えるものはない」と。ウェストンもやはりその美しい金字塔に惹かれて登ったのだろう。

笠ケ岳
かさがだけ

2、898m

それほど目立つ端正な山だから、古くから人々の注意を引き、信仰の山となったのは当然だろう。その初登頂者は円空上人と伝えられる。円空は鉈一丁で仏像を刻んだ奇僧で。近年その彫刻が有名になり、展覧会が催されたり、作品の写真集が出たりした。

焼岳
やけだけ

2、458m

焼岳は微妙な色彩のニュアンスを持っている。濃緑の樹木と、鮮やかな緑の笹原と。伽褐色の泥流の押し出しと、ーそういう色が混ざり合って美しいモザイクをなしている。しかも四季の推移によって、そのモザイクも一様でない。

乗鞍岳
のりくらだけ

3、026m

もちろんここでいう乗鞍信者とは、信仰登山のそれではなく、まして遊覧バスで運ばれてくる大衆ではない。お金は余り無いが暇は充分あるという学生時代に乗鞍に住んだことのある人たちを指す。全く、乗鞍に登ると言うより、住むと言った方が似つかわしい山である。  

御嶽
おんたけ

3、063m

富士山、鳥海山、立山、石鎚山など、古くから宗教登山が盛んであったが、現在では一般登山の中に解消されている。信仰登山の組織と戒律と風俗を今でも濃厚に保っているのは、御岳だけであろう。(略)道が白く見えるぐらい白衣装束の信者が続いている。

美ケ原
うつくしがはら

2、034m

そういう高原の中で第一に挙げたいのが美ヶ原である。ここほどその条件にかなった所もないだろう。(略)その高さに、広さを加えると、まさに日本一かもしれない。そのさまは尾崎喜八氏の「美ケ原溶岩台地」に見事に歌われている。

霧ケ峰
きりがみね

1、925m

まだ戦争の始まらない頃、私は霧ヶ峰で一夏を過ごし、遊ぶ山の楽しさを十分に味わった。もうとっくに焼けて無くなってしまったヒュッテの二階の、そこから真正面に乗鞍、御嶽、木曽駒の見える一室を私が占め、隣の部屋には小林秀雄君がいた。

蓼科山
たてしなやま

2、530m

名山であるから古くからいろいろな呼び名がある。昔は立科と書かれた。諏訪から望むと、完全な円錐形をしているので、諏訪富士とも呼ばれた。蓼科山は円錐形上に更に円錐丘を戴いた複火山であって、富士に模されるのは実はこの円錐丘である。

八ケ岳
やつがだけ

2、899m

その八峰と称されるものを挙げれば、西岳、編笠岳、権現岳、赤岳、阿弥陀岳、横岳、硫黄岳、峰ノ松岳。そのうち、阿弥陀岳、赤岳、横岳あたりが中枢で、いずれも2800米を抜いている。2800米という標高は、富士山と日本アルプス以外には、ここしかない。

両神山
りょうかみさん

1、724m

あたかも巨大な四角い岩のブロックが空中に突き立っているような、一種怪異なさまを呈している。古くから名山として尊崇されているのも、この威圧的な山容からであろう。それはどんな山岳重畳の中にあっても、一と目でそれとわかる強烈な個性を具えている。

雲取山
くもとりやま

2、018m

三多摩が東京都に編入されて以来、この台首都はその一隅に二千米の高峰を持つ名誉を獲得した。あえて名誉という。煤煙とコンクリートの壁とネオンサインだけがいたずらにふえて行く東京都に、原生林に覆われた雲取山のあることは誇っていいだろう

甲武信岳
こぶしだけ

2、460m

三国にまたがっているということは、連嶺上の突起にすぎない単純な山より、姿態が複雑である。甲武信岳から、千曲川、荒川、笛吹川、三つの川の源流が出ている。その点から言っても、甲武信は奥秩父のヘソと言いたい山である。

金峰山
きんぷさん

2、595m

一般に奥秩父の山々はこれという特徴がなく、(略)一々の山を指摘するのがむずかしい。そんなとき私はまず第一に金峰山に眼をつける。この山も漠然と見ただけでは、特に他と区別をするような山相は持っていないけれど、ただその頂上の五丈石(御像石)が目じるしになる。

瑞牆山
みずがきやま

2、230m

瑞牆山という名前は古記には見あたらないが、しかしこの山が古くから知られていたことは、弘法大師文字とか古代文字とか称せられるものが、アマドリ沢上流の岩壁に刻せられていたという言い伝えを以ても察せられる。

大菩薩岳
だいぼさつだけ

2、057m

頂上までは峠から四十分位で達せられる。この連嶺の最高峰である。「嶺」という字は「とうげ」と読まれて、以前は大菩薩嶺とは大菩薩峠を指す名称であったらしいが、今はその名は最高峰に移されて、ハイカーの間では略して「れい」と呼ばれている。

丹沢山
たんざわさん

1、673m

私が百名山の一つに丹沢山(丹沢山というのは山塊中の一峰である)を取り上げたのは、個々の峰でなく、全体としての立派さからである。(略)ただ表尾根を歩くだけでなく、その奥深く入れば、山の規模は大きく複雑で、容易にその全貌をつかめない。

富士山
ふじさん

3、776m

日本人は小さい時から富士の歌をうたい、富士の絵を描いて育つ。自分の土地の一番形のいい山を指して何々富士と名づける。最も美しいもの、最も気高いもの、最も神聖なものの普遍的な典型として、いつも挙げられるのは不二の高根であった。

天城山
あまぎさん

1、407m

天城山へ登る機会を逸していた。一つの理由に、その五万分の一の地図がなかったせいもある。要塞地帯であったからだ。地図を持たない登山は私には興味索然である。(略)やはり地図の等高線を数えながら登るようでないと面白くない。

木曽駒ケ岳
きそこまがだけ

2、956m

私はこの頂上に二度立った。いずれも戦争前で、最初は伊那から登って木曽へ下り、その次は南の越百山主稜を縦走してこの山頂に来た。その時はすばらしい天気に恵まれて、四周の展望をほしいままにした。

空木岳
うつぎだけ

2、864m

中央アルプスの北半分に主峰駒ケ岳があって(略)その南半分の最高峰が空木岳である。登山者というロマンティストは美しい山の名に惹かれる。心の中に、まだ訪れたことのない、しかしその美しい名前だけは深く刻みこまれている、幾つかの山を持っているものだ。

恵那山
えなさん

2、190m

島崎藤村の「夜明け前」を読んだ人は、美濃の十曲峠を登って木曽路にかかる入口の馬籠を忘れないだろう。その馬籠から南に当たって、大きく恵那山がそびえる。幼少時代の藤村があけくれ眺めた山である。当然「夜明け前」の中にこの山がしばしば出てくる。

甲斐駒ケ岳
かいこまがだけ

2、966m

日本アルプスで一番代表的なピラミッドは、と問われたら、私は真っ先にこの駒ケ岳をあげよう。その金字塔の本領は、八ヶ岳や霧ヶ峰や北アルプスから望んだ時、いよいよ発揮される。(略)まさしく忽然という形容に値する威と品をそなえた山である。

仙丈岳
せんじょうだけ

3、033m

私の好みで、日本アルプスで好きな山は北では鹿島槍、南では仙丈である。何よりもその姿がよい。単純なピラミッドでもなければ鈍重な容量でもない。その姿に軽薄や遅鈍のないところが好きなのである。スッキリとして品がある。  

鳳凰山
ほうおうざん

2、841m

地蔵仏は高さ十八米、極めて印象的なオベリスクで、甲府盆地からでもよき注意すると認めることができる。それは、鳳凰山のシンボルのように立っている。その巨石に初めて攀じ登ったのはウォルター.ウェストンで、明治三十七年(1904年)の夏であった。

北岳
きただけ

3、192m

この北岳の高潔な気品は、本当に山を見ることが好きな人だけが知っていよう。白峰三山の中でも、北岳は形がスッキリしていて、清秀な高士のおもかげがある。(略)惚れ惚れするくらい高等な美しさである。富士山の大通俗に対して、こちらは哲人的である。

間ノ岳
あいのだけ

3、189m

「甲斐国志」の指す三峰がいずれにせよ、白峰三山は現在の北岳、間ノ岳、農鳥岳であることは間違いない。ただ私にとってやや惜しく思われるのは、農鳥という山の名を間ノ岳のために取っておいて欲しかったことである。

塩見岳
しおみだけ

3、047m

三伏峠の上に立って、そこから眼の前に中俣を距てて仰ぎみた塩見岳のすばらしい姿に、旅人は暫くは息を飲む思いをしたであろう。実際、この峠からの塩見岳は天下一品である。このみごとな山に、名前を付けずに放っておくわけはない。

悪沢岳
わるさわだけ

3、146m

読者にお願いしたいのは、どうかこれを東岳と呼ばず、悪沢岳という名で呼んでいただきたい。一たい東岳という平凡な名はいつ付けられたのであろう。おそらく荒川岳の東方にある一峰と見なしたに違いない。しかし荒川岳の続きと見るにはあまりにこの山は立派すぎる。

赤石岳
あかいしだけ

3、120m

この山を広く世に紹介したのは小島烏水氏で、「赤石山の記」を「山岳」第一年一号(1906年)に載せた。(略)火成岩の力を借りて高度をあげた穂高や槍や白馬は変節漢であって、ひとり赤石のみが太古からの純粋を保持しているというのである。

聖岳
ひじりだけ

3、011m

聖岳が何か世俗を脱した高潔な山のように思われるのは、その名前のせいだけではない。それは日本アルプス三千米峰として最南の僻地にあり、容易に近づきがたいという印象からもきているのだろう。日本の高峰中で一番登山者の少ない山かもしれない。

光岳
てかりだけ

2、591m

頂上は狭かった。少し行くと、御料局三角点のある頂上がもう一つあった。ここの方が幾らか広い。パインアップルの缶をあけ、一株の匐松の根元に腰をおろして休んだが、その匐松こそ日本最南端のものであった。

白山
はくさん

2、702m

私のふるさとの山は白山であった。白山は生家の二階からも、小学校の門からも、鮒釣りの川辺からも、泳ぎに行く海岸の砂丘からも、つまり私の故郷のどこからでも見えた。真正面に気高く美しく見えた。それは名の通り一年の半分は白い山であった。

荒島岳
あらしまだけ

1、524m

中学二,三年の時であったか、私は自分の町から歩いて、姉の嫁ぎ先のある福井県の奥の勝山町まで行った。年か夏休みだったと思う。九頭竜川に沿って遡って行くと、菜の花の盛りだったことを覚えている。荒島岳を初めて知ったのはその時だった。

伊吹山
いぶきやま

1、377m

私は山の混雑は大嫌いだから、四月中旬の一日を選んだ。晴天に恵まれて、誰もいない山腹を一人で登って行くと、草枯れの間にもうタンポポや草ボケや紫ケマンの色どりが美しかった。(略)登るに従い、展けてくる眺望に心を奪われた。

大台ケ原山
おおだいがはらざん

1、695m

大台ケ原は昔は大平と呼ばれた。それが大平原となり大台ケ原山と変わった。それに更にご丁寧に「山」を付けて、現在では大台ケ原山と呼ばれている。昔の人が端的に大平と名付けた通り山上は広い高原で、樹木が繁茂しているのは雨量の多いせいである。

大峰山
おおみねさん

1、915m

大峰山はわが国で最も古い歴史を持った山である。この山についての古記録は、枚挙にいとまはない。(略)開山は役ノ小角と伝えられる。斉明朝元年(655年)彼は二二歳で大峰山の上で苦行したというから、これを登山記録と見れば日本最古であろう。

大山
だいせん

1、713m

伯耆の国にありながら出雲富士という名もあるのは、この山が整った富士型に見えるのは、出雲から望んだ場合に限るからであろう。私は大山を、松江の城から、出雲大社から、三瓶山の頂から、望んだ。いつも一目でわかる。秀でた円錐形で立っていた。

剣山
つるぎさん

1、955m

剣山の頂上は、森林帯を辛うじて抜いた草地で、その広々した原は、昼寝を誘われるようなのんびりした気持ちのいい所だった。すぐ真向かいには、こちらより僅かに低いジロウギュウが中々立派であり、北方には幾重も山を越えて瀬戸内海の方が見渡せた。

石鎚山
いしづちさん

1、982m

石鎚山は四国のみならず西日本最高の山である。わが国で最も古くから讃えられた名山の一つで、「日本霊異記」にその名前が現れている。石鎚神のいます山としてあがめられ、まだ山岳が仏教の影響を受けない昔からの名山であった。

九重山
くじゅうさん

1、788m

九州には、霧島、阿蘇、雲仙などの噂の高い山があるせいか、その最高峰は見逃されがちのようである。九州本島で一番高いのは九重山。九重山は山群の総称であってその主峰は久住山。(略)そんな分け前に落ちつくまでに、長い間山名の争奪戦があったそうである。

祖母山
そぼさん

1、758m

祖母山は昔は九州第一の高峰として国定教科書にも載ったことがある。その後その名誉は九重山に譲ったが、山の由緒は古い。日向、豊後、肥後の三国に跨って古来鎮西の名山と称せられた。(略)実証的な記事は橘南谿の「西遊記」にも見えている。

阿蘇山
あそさん

1、592m

なるほどこれは大きい、とつくづく思ったのは、九重山の上から、祖母山の上から、眺めた時であった。阿蘇より高いそれらの山から陥没火口を覗きこむことが出来た。その中央に立っている所謂阿蘇五岳も数えることができた。

霧島山
きりしまやま

1、700m

高千穂嶺に登るまでに、私はただ一人で、霧島山群の韓国岳、獅子戸岳、大幡山、新燃岳、中岳等へ登って、それぞれの頂上から倦くほど高千穂の美しい峰を眺めた。そして最後に新湯という鄙びた温泉で一夜をあかして、翌朝高千穂峰に向かった。

開聞岳
かいもんだけ

  924m

橘南谿の「名山論」を持ちだしたのは、その中に開聞岳が入っていることが、わが意を得たからである。(略)ユニークな点では、この山のようなものはないだろう。これほど完璧な円錐形もなければ、全身を海中に乗りだした、これほど卓抜な構造もあるまい。

宮ノ浦岳
みやのうらだけ

1、935m

最高峰の宮ノ浦岳はほぼ島の中央を占め、少し距たって、永田岳、黒味岳が立っている。いずれも千八百米以上を算するが、それ以下の山になると無数にある。山の頂をタケと呼び、島の人たちに言わせると、そのタケが三百三十もあるそうである。


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