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登山の記録  アフリカ

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キリマンジャロ(Kilimanjaro)登山 マチャメルート

イラストでコースをを見る  画像で見る  Google Earthで動かす(ファイルをダウンロードして「グーグルアース」ソフトで開く)

  水平歩行距離 23日:8.5+?Km 24日:4.7Km 25日:9.8Km 26日:4.5Km 27日:3.4Km 28日:13.1Km 29日:11.8Km
   合計55.8Km+?  ?は初日は途中から測定したため

【日  時】 2018年1月21日(日)~1月31日(水)
【山  名】 キリマンジャロ(ウフルピーク 5895m ステラポイント 5730m)
【天  候】 23~29日:晴れ後、昼頃から一時雨
【メンバー】 Mickey-son 他10名(男8名 女2名)+ツアリーダー1名+現地ガイド6名+コック2名+給仕2名+ポータ32名
【コース 】 1日目(1月21日)
自宅10:00→三ノ宮駅10:51~11:00→関西空港第2ターミナル12:16~14:30→成田空港第1ターミナル南ウィング15:55~20:10→香港空港00:40~01:30
2日目(1月22日)
ボレ(アディスアベバ)空港第2ターミナル(2334mH)7:00~10:20→キリマンジャロ(JRO)空港(894mH)12:55~14:00→モシ(Parkviewホテル)(870mH)14:50
3日目(1月23日)
Parkviewホテル08:00→マチャメゲート(1790mH)8:45~10:00→昼食(2230mH)12:25マチャメキャンプ(3010mH)16:30
4日目(1月24日)
マチャメキャンプ8:00→シラキャンプ(3845mH)14:05
5日目(1月25日)
シラキャンプ8:00→昼食(2230mH)12:30~13:00→ラヴァタワー(4640mH)13:30~:40→バランコキャンプ(3960mH)16:35
6日目(1月26日)
バランコキャンプ8:00→カランガキャンプ(4035mH)13:25
7日目(1月27日)
カランガキャンプ8:00→バラフキャンプ(4645mH)12:00
8日目(1月28日)
バラフキャンプ23:00→ステラポイント(5730mH)6:15→ウフルピーク(5895mH)7:10~7:30→バラフキャンプ13:10→ミレミアムキャンプ(3820mH)15:30
9日目(1月29日)
ミレミアムキャンプ8:00→ムェカキャンプ場(3080mH)9:05→ムェカゲート(1630mH)12:35~14:40→Parkviewホテル16:10
10日目(1月30日)
Parkviewホテル10:00→アルーシャ国立公園(1400mH)9:45~13:50→キリマンジャロ(JRO)空港11:20~17:35→アディスアベバ空港第2ターミナル20:05~22:25
11日目(1月31日)
香港空港00:40~01:30→成田空港第1ターミナル19:20~21:00→東京駅22:00~23:50→三ノ宮8:10→JR三ノ宮駅8:30→自宅9:30

Jambo!!

 アフリカ大陸で独立峰で最高峰のキリンマンジャロ(Kilimanjaro)に登ることにした。ヒマラヤトレッキングで一緒だった女性達が登ったと言っていたので以前から登りたかった山である。しかし特別な登山技術はいらないがなかなか登頂は厳しいと聞いていた。
 メジャーコースは5本で、マラング、マチャメ、レモショ、ロンガイ、ウンブウェなどがあるが代表的なコースは山小屋を利用して往復するマラング(Marangu)コースとテント泊で行き帰りルートが違うマチャメ(Machame)コースがあるが今回は高度に順応しやすくコースに変化があるマチャメコースを選択する。このコースはトレッキング中は全てテント泊である。また時期的には気候の安定する1月とする。しかし現地でガイドに確認すると乾季の9月ごろが良いようだ。

キリマンジャロはタンザニア連合共和国 (United Republic of Tanzania)にある。赤道から南に約340kmの南緯3度、アフリカ大地溝帯の東リフト・バレーに位置する。東西約50km、南北30kmの山体をもつ大型の成層火山である。西から東へ並ぶ、シラ峰(Shira、3962m)、キボ峰(Kibo、5895m) 、マウェンジ峰(Mawenzi、5149m)の3つの主な成層火山から成り、山体中央にあるキボ峰が最高峰である。南東部には巨大なカルデラがある。

※マチャメコース:南西部山麓のマチャメ村(1,800m)が起点。2番目に人気のあるルートである。美しい森の中を走るルートで、馴化にとても適している。山麓を横切りバラフ・ハットへと向かう風光明媚なルートが分岐する。帰りはムェカルートで下る。一方通行のトレイル。宿泊はテントしかない。
※マラングコース:南東部山麓のマラング村(1,700m)が起点。最も人気のあるルートである。4,700m地点までの長い区間は勾配がゆるやかであり、基本的な設備ももっとも整っている。美しい森林やムーアの中を走るルート。6日間の日程は馴化には程よい期間である。宿泊は基本的に山小屋

1月21日 日本→アディスアベバ
 エチオピア航空は機内持ち込み手荷物は7Kg/人、受託の荷物は23Kg/個までであるため持参する重量を確認してから出発4日前にスーツケースをJALエービーシー(ヤマト宅急便)で成田空港まで発送(旅行代金に含む)する。背中のリュックだけでの移動であり楽ちんである。

 成田空港集合のためどうやって行こうか迷ったが色々検討した結果、関空から格安航空のピーチを利用することにした。しかしピーチの予約サイトでは日々価格が変動していていつ予約を入れればいいのか正直悩んだ。10日前に運賃5790円(最安値ではなかった)で予約が取れたが更に関空、成田空港施設使用料850円や支払手数料540円が追加され結局7180円となる。これでも新幹線利用に比べると合計6000円程は安くはなった。三ノ宮からリムジンバスに乗ってピーチの発着場の関西空港第2ターミナルまで行き、チェックイン用二次元バーコードで搭乗手続きを済ませる。全然人を介さずにボーディングパスが発券される。ロビーにあるインターネット使用料はなんと100円/10分も取られる。流石格安航空経営である。座席指定できない条件だが幸いにも左の窓側シートであったため成田までの途中、富士山がくっきりと見ることができた。幸先が良さそうである。

 成田空港の第1ターミナル南ウィングに到着。18時10分に#1カウンター前で添乗員と落ち合い搭乗券とEチケットを受け取る。燃油サーチャージ料金が3400円返還された。長時間飛行のため通路側席を指定して搭乗手続きを終え、成田空港は長い間、利用したことが無いので出発まで周辺施設を散策すると共に直ぐに機内食が出るだろうからと軽めの夕食を食べる。

 ゲート#42からエチオピア航空 ET673便(香港経由)に搭乗。まずはスマートフォンのモバイル通信設定をOFFと腕時計の時間表示を変更する。香港空港で清掃のため機内待機50分で、アディスアベバに向かう。香港からの機内は比較的搭乗者は少なく3人掛けのシートで横になって眠ることができた。機体はB787-8で各シートにタッチパネルのエンタテイメント機器が取り付けられており、映画、音楽などが準備されているが全て日本語は使用できない。映画を見て過ごす。またUSB電源も機器に併設されているので各種バッテリーの充電ができるので助かる。
 飛行距離は日本→香港約2,960Km(5時間30分)+香港→アディスアベバ約8,100Km(10時間30分)=約11,060Km(16時間)
 機内では空気が乾燥しているのでマスクをかけて過ごす。かけたまま入出国審査を受けるとマスクを外せと何回か注意される。

関西空港をピーチ航空で出発→ 途中、富士山が見えた→ 成田空港でStar Warsの機体を見かける→
エチオピア航空の最初の機内食→ 座席前のタッチパネルのエンタテイメント機器→ エチオピアのアディスアベバで乗り換え→

1月22日 アディスアベバ→キリマンジャロ空港→モシのホテル
 タンザニアへの飛行機乗り換えのためエチオピアのボレ(Bore)国際空港でしばしの待ちが有り。トランジットセクションでは民族衣装を着た色んな人種達で混雑している。店は10軒程しか無いしトイレの数を含め、とても国際空港と思えないような小ぢんまりとした施設である。2017年10月から開始されたセキュリティの無い無料のWiHiがあるが通信速度は極端に遅い。取り敢えず家族に無事到着の連絡を入れる。タンザニアのキリマンジャロ空港への搭乗セキュリティは厳しく、靴まで脱がないといけない。持ち込み可能と思われたガスライターまで没収された。ゲート#1よりB787に搭乗して約1,390Km(2時間35分)の飛行。

 ボレ空港からはキリマンジャロ(JRO)空港着陸前の進路変更する時にキリマンジャロの雄姿を見るため左側の窓側シートを指定する方が良い。しかし私は通路側の席だったので見ようと思って席を立つがちょうど気流が悪くなり着席しなければならず見ることができなかった。残念。
 エチオピア、タンザニアと日本との時間差は6時間である。

 タンザニアのJRO国際空港は1階建てのこれまた小ぢんまりとした空港である。長時間の移動であったが機内で横にも成れたのであまり疲れも出ていない。ビザを提出して入国審査を受け、バゲージクレームでスーツケースを受け取るとすぐに玄関口となる。外に出ると日差しはきつく暑い。30℃である。駐車場には日本では見たことの無い長いボディーのトヨタのランドクルーザーが沢山止められている。サファリの国では必要なのだろう。周りには赤い花をつけたクリスマスツリーの木々が植生しており、カラスらしき大きな鳥が沢山留まっている。ローカルな雰囲気である。

 出迎えの現地の旅行会社(TOPI)のバスの屋根にスーツケースを積み込んだ後、バスに乗り込み日本と同じ左側通行で交通信号の全く無い直進的な道路を走り、大きな町(市?)であるモシ(Moshi)のParkviewホテルに到着。このホテルはガードマンが鉄門の出入り口を管理して関係者以外は入れないようにしている。宿泊する部屋は一人にはかなりゆったりしている。ダブルベッドには天蓋がかかって豪華そうであるが体を洗うにはシャワーしか無い。WiHiは使用可能であるがやはり通信速度は遅い。

 ホテル内には小さいながらもプールがあり、外人達がプールサイドでのんびりと長椅子に寝そべっている。多少の異国情緒がある。早速シャワーで体を流した後、明日からポーターに持ってもらうためにスーツケースからトレッキング中に必要な7泊分の品物を別のバッグに詰め直し(ツア会社より7Kgまでにと指定されている)、個人が持つリュックには合羽、スマートフォン充電用バッテリー、水筒(1.2L+0.5L)、滋養食、おやつなど登山中に必要な物を入れるなどの準備する。

 その後、添乗員を伴って市内の土産物店、両替屋、スーパーマーケットに案内してもらう。走っているのはほぼ中古の日本車だった。日本語が書かれたままの車も走っている。土産品はキリマンジャロTシャツやキリマンジャロコーヒーが一般的であるらしい。スーパーマーケット前ではハット(つば付き帽子)の売り子に摑まる。最初は10ドル/個で売り付けに来るので3ドルと言って無視していると10ドルから1ドルづつ下げてくる。何度かのやり取りの末に遂には言い値の3ドルで購入することができた。満足の行く買い物であった。土産物は下山した日に買う時間があるということで本日は何も買わずに見るだけにする。従って日本から持参したドルをシリングに両替もせず。ホテルに帰宅してからは中庭で仲間達とキリマンジャロビール(500cc?/2ドル 4.5%)を飲みながら夕食まで談笑する。

 夕食はホテルの食堂で自己紹介をしながらビールと肉硬めのビーフシチューなどで食事する。今回の参加者は男性添乗員1名、男性9名、女性2名の計12名である。
予備のスマートフォンを現地時間に変更して目覚まし時間を合わせてアフリカ初日就寝。

アディスアベバのトランジット場所→ キリマンジャロ(JRO)空港に到着→
全長の長いランドクルーザー→ バスの屋根にスーツケースなど荷物を積み込む→
空港駐車場には花を咲かせるクリマスツリーの木→ 果てしなく続く大地→
村風景→ パークビューホテルに到着→
ロビーには世界各地の時間を示す時計→ 部屋の中 天蓋付きベッド→
小さいながらもプール付きのホテル→ ホテル近所の街角でスイカの露店→
本日の為替レイト 1$=2250シリング前後→ ホテルから見えるキリマンジャロのキボ峰→
ビーフシチュで夕食→ ホテルの朝食(バイキング)

1月23日 モシ→マチャメゲート→マチャメキャンプ 本日の水平歩行距離:8.5Km+? 歩行時間:6:30
 6時半に起床。初めて見るキリマンジャロのキボ峰が遠望できるが少しガスがかかっている。ホテルのテラス及び屋上から朝日を浴びたキボ峰を撮影する。正面に広々と裾野を広げて雄大な姿を披露している。遠目では登るには大したことが無さそうに見える。7時に食事、基本はバイキング形式であるが卵料理は注文すると調理してくれる。献立はジュース、ミルク、コーヒーなどの飲み物、果物、パン、フレークである。

 8時にキャンプ用のバッグをバスに積み込み、出発開始。定期的に現れる朝の賑わいの見せる街並みを眺めながら1時間程度でマチャメゲート(Machame Gate)に到着。ここで国立公園入山の申請をするが1時間ぐらい手続きにかかる。理由はポーターが運ぶ荷物の重量をすべて計量するからである。
 ヒマラヤトレッキングと違ってキリマンジャロでは荷物は動物は使わず全て人力で運ぶ。また一人のポーターが担げる重さは20Kgまでと制限されている。そのためガイド(6人)、コック(2名)、ウェイター(2名)を含めテント、食料、食器類など運ぶポーターで総勢42名の大部隊である。こういった規制は雇用を増やす意味合いがあるようだ。

 ゲート看板にはマチャメキャンプ場には11Km(5時間)、シラ(Shira)キャンプ場まで16Km(11時間)、ラヴァタワー(Lava Tower)まで23Km(15時間)、バランコ(Barranco)キャンプ場まで26Km(17時間),カランガ(Karanga)キャンプ場まで31Km(21時間)、バラフ(Barafu)キャンプ場まで35Km(25時間)、ウフルピーク(Uhuru Peak)まで40Km(30時間)と書かれている。これを7日間で踏破する予定である。
 案内板には入山料は70$/人、キャンプ料は50$/人などと表記されているが全体で一体幾ら要るのかさっぱり判らない。

 入山手続きの間に添乗員はしきりと高山病対策として水は2L以上飲めと事ある毎に言う。以前高山病で食欲を失くした私としては必要以上に水を飲むことを肝に銘ずる。しかしこのことで夜中に大変なことになってしまった。

 気温21℃の中、いよいよ出発である。服装は半袖に短パンの夏の服装で全然問題なし。添乗員は「地下足袋」と「もんぺ姿」と一風変わった恰好であるが登山のベテランである。我々には現地ガイドが同行しているだけでポーターたちはすでに先行している。しばらくはなだらかな幅広道を樹林帯の中を進んでいく。私には遅いペースであるがあえて意識してPole Pole(ゆっくりと)のペースにしているとのこと。途中でスマートフォンのGPSログ取得の設定をしていないことに気付き慌てて設定する。Googleマップをオフラインで使用できるようにしているので大体の位置は把握できる。

 高度を上げるにしたがって熱帯雲霧林の中となり木立が高くなってくる。巨大なシダや枝から垂れ下がった「サルオガセ」が現れてきて、だんだんトロピカルなジャングル雰囲気となってくる。しかし鳥や動物の鳴き声はほとんど聞かれずシーンとしている。途中で支給されたパックに詰められたランチをとる。結構いろんなものが詰められている。キューり、ジュースパック、マフィン、リンゴ、バナナ、パン、ゆで卵、ゼリー、そして鳥の唐揚げのようなもの、これがお薦めである。この後、何度かこの組み合わせの昼食が提供されることになる。

 深い森(ジャングル)を眺めながら4回の休憩をとり、途中で小雨に合うがマチャメキャンプ場に到着する前には雨が上がる。緑の木々に囲まれたキャンプ場の広さは今回の登山中で最も狭いと事前に説明があったが到着してみると成る程テントは隙間なく設置されており通行できる幅しか余裕はない。山越しにキリマンジャロが見えるがまだまだ遠い。夕方の気温は15℃。隣の外人グループのスタッフが輪になって「キリマンジャロの歌」を歌ってこれからのトレッキングのために気勢を上げている。

 夕食はテーブルクロスを敷いてナイフ、フォーク、スプーンをナプキンでくるんで置いてある。更にお湯、お茶、コーヒー、ココア、ミルク(粉ミルク)、砂糖があり自由に飲めるようになっている。残念ながら記録を残していないので何を食べたかあまり覚えていないので報告は無し。

 キャンプ場からかなり下にあると思われる谷からポーターが水を運び上げている。ご苦労様です。夕食の前にパルスオキシメーター(血中酸素飽和度)にて心拍数と酸素濃度を測定。これから毎日、朝晩測定して健康管理手帳に記録して添乗員が管理を行う。血中酸素飽和濃度は90、脈拍数は100もある。

 高山病対策として本日、無理して水を飲んだが夜中に10回ほどテントを出てトイレに行かないといけないはめとなった。肌寒い夜中にシュラフから抜け出し、テントの出入り口を開けて外に出るのはたいそう難儀である。お陰で星空を眺めることはできたが残念ながら半月が出ているため満天の星空とまではいかない。あちこちでテントのジッパーの開閉の音が聞こえてくるので私だけでなく皆さんも同じ状態であろうか。静かな中で結構響いてくる。テント生活では出入りするためサンダルは必需品である。

途中の街並み→ 田園風景→ 奥さん方→
マチャメゲート入山→ 入山受付申請中→ ポーター達が計量のために待機中→
記念すべき最初のゲート→ 出発前にスタート地点で全員で記念撮影→
樹林帯の整備された登山道→ 色々入った昼食のランチパック→ 頭に荷物を載せて運ぶポーター達→
しょっちゅう見かける花 インパチェンス→ インパチェンスキリマンジェカ→  鬱蒼と茂ったジャングル樹林帯→
マチャメキャンプ場に到着→ シラ峰を望む→ キャンプ場のテント群と奥に管理棟→
食堂テント内に夕食の準備が整いました→  マチャメキャンプ地と奥にキボ峰が顔を覗かしている

他グループのサポーターのキリマンジャロの歌と踊りで盛り上がっていた。

1月24日 マチャメキャンプ→シラケーブキャンプ 本日の水平歩行距離:4.7Km 歩行時間:6:30
 「マジモトキヨシ」?(マジモトはスワヒリ語で湯の意味)の声で起こされ朝6時に起床、毎日熱い飲み物と洗面器にお湯を支給してくれる。テント内の気温は11℃で外に出ると5℃である。少し肌寒いが服装はTシャツに上着を羽織る程度で充分である。7時に食事をしてからシュラフとポーターに運んでもらうバッグを所定の場所に置いてから8時にリュックを背負って北に向けて出発。いきなりの岩場の急登である。しかしポーター達は頭の上に大きな荷物を載せ上手にバランスをとって登山者を避けながら適当なルートで登って行く。そのスピードと体力はまさに超人的である。

 我々グループはこの日の先頭付近を歩いていたが段々欧米人のグループに追い付かれてくる。森林限界を抜けて樹木が低くなってきて周りの視界が開けてきた。最初の岩場からは左にシラ(Shira)峰(3962mH)、後方にアフリカ第4位の高さのメルー山(Mt.Meru 4566mH)が眺望できるようになる。歩いているとポレポレ(Pole Poleゆっくり)、ジャンボ(Jamboこんにちは)の言葉が良く聞かれる。賑やかな中、緩やかな岩場を進んでいく。

 次の休憩時(11:30)には首の後ろが白い大きな鳥が寄ってくる。ガイドに尋ねるとカラスとのこと。登山者からの餌を求めてやってきているようで手からの餌も恐れずついばみに来る。大分人慣れしている。その後、シラキャンプ地まで随所で見かける。またネズミのような小動物も岩陰でうろうろ走っている。やはり生き物を見ると雰囲気が和んでくる。
 頻繁に水を飲めと言われているが歩行中はついつい飲むのを忘れてしまうので休憩時に飲むようにできるだけ心がける。トイレ小屋はキャンプ場とルート途中に所々に設置されているが数は少なく、必然的に大自然の中ですることになるが適当な場所を見つけると大抵先人の痕跡が残っている。

 スピーカーで音楽を流し踊りながらながら歩く陽気な欧米人もいる。我々日本人にはなかなかできない行動だ。登山を楽しんでいるようだが空気の薄い中いつまで続くのか心配していまう。登山者にはヨーロッパの人々が多いが中でもドイツ語が多く聞かれる。若い人も多くまた結構女性も多く見かける。

 針路を西に取り、また急な岩場を登って行くが時々足元が切れ堕ちている場所もある。登行中、水を見かけることはなかったが珍しく火山岩場から白糸の滝のように湧き流れている場所に出会う。続いて、ロックガーデンのような雰囲気の景観となり、まるで日本庭園のような景観である。この中を進むと「ジャイアントロベリア」(Giant Loberiaキキョウ科)を見かけるようになる。ガイドの説明で葉をめくっていくと紫色の花が内で咲いている。またキリマンジャロ固有種である「ジャイアントセネシオ」(Giant Senecioキク科)も少しづつではあるが姿を見せ始めている。その枯れた下茎の中に羽毛が詰まって寒さから身を守っていると説明を受ける。

 急に湧き出てきた白いガスの中、シラキャンプ場に到着後、遅い昼食をとる。すでに富士山より高い所に居ることになる。このキャンプ地は大きく開けた場所で広々としている。正面先に見える「シラケーブ」という洞窟に見学に行く予定であったが時間的な制約のため中止となったので暇つぶしのために付近を散策する。結構離れた場所までテントを張っている。ここでも残飯を洗ってそのまま地面に流しているので自然環境はドンドン悪くなってくるだろう。

 夕食前にはリーダーからサポーター42名全員の紹介があった。みんな重い荷物を持ってきたにもかかわらず人懐こい明るい顔をしている。気楽に話しかけれる。体形はスマートで男前が多い。ポーター達はキリマンジャロの色んなコースを歩くことで経験を積みガイドに出世していくと言っていた。

 夕食後に1.2Lの水筒(100℃の湯に耐えれる材質の物)に湯(高度が高いので実湯温は90度弱であろう)を入れて貰い、保温材で包みすぐに厚さ5cmのマットの上に敷いたシュラフの中に入れ湯たんぽ代わりにする。19時には眠りにつくがマットと湯たんぽの効果は抜群で朝まで暖かく快適に寝られる。水筒の水はそのまま明くる日の飲み水として使える。4時前からは雨が降り出す。

起きるとキボ峰の姿が→ 出発前の朝の準備作業→ いきなりの岩場の急登→
雄大な景色を見ながら休憩→ メルー山を望む→ 雲の中のキボ峰を仰ぎ見る→
荷物を持ったポーター優先→ 更に急登は続く→
休憩時に餌を求めて鷲にも似たカラスが寄ってくる→ まだ続く→
岩場を乗り越えて→ シラ峰(シラピークとシラカシードラル)が望める→ 
花→  崖から湧き水が流れ出る→ 
ロックガーデン風の中を歩く→  左側が切れ堕ちた岩場歩き→
ジャイアントロベリア→ ジャイアントセネシオが現れ始める→
キリマンジャロチドリ?花 サポーター達の紹介 総勢42名→
シラキャンプ場のゲート 「シラケーブ」は一番奥→ 広々としたシラキャンプ場全景

我々のサポーターのジャンボブワナJambo Bwana(キリマンジャロの歌)と踊りが披露された(内容は良く分からない)

1月25日 シラキャンプ→ラヴァタワー→バランコキャンプ 本日の水平歩行距離:9.8Km 歩行時間:9:00
 朝6時起床、テント内は3℃、外気温は-0.6℃である。今朝は冷え込んでおり、早朝からの雨でテントの屋根に霜が付いている。キボ峰もうっすらと雪が積もっている。7時に食事だが益々食欲は失ってきた。食堂テントに入ると胃がムカついてくる。いよいよ高山病になってきたようだがその他の悪い症状は出ていない。無理にパンにバターを塗ってソーセージを載せ紅茶で流し込む。後はパイナップル、マンゴ、スイカなどの果物だけを食する。皆さんはおかゆやキューりスープを美味しそうに食している。8時に出発開始。高山病対策としてゆっくり息を吐いて大きく吸い込むことを繰り返しながら歩んでいく。

 今日の予定は一度ラヴァタワー(Lava Tower 4600mH)まで高度を上げてからバランコキャンプ(3960mH)まで高度を下げ高度順応を図る。本日の見所はラヴァタワーである。出発時はいつものように快晴である。ここからはシラ峰を左に見て東進して正面にキボ峰を見ながらまた朝日を浴びながら広々とした荒涼原野を少しづつ高度を上げながら登って行く。植栽はコケや地衣類が岩の表面や地表を覆っているだけになる。

 左手の方から歩いてきている登山者が見える。西側のレモショルート(Lemosho)、シラ(Shira)ルートからの合流点の鞍部である。ここで休憩。その後、尾根を越え一旦下ると正面には巨大な岩塊であるラヴァタワーが見えている。沢を渡った後、沢を右に見て急坂を登りきるとラヴァタワーである。ラヴァタワーの手前から急に曇ってきて雹が降り出し氷雨となってくる。そうした中で12:30に手前の岩場で昼食とする。いつものランチボックスを開くが寒さで体が冷えてくる。気温は4.5℃である。

 早々に食事を切り上げるがだんだん天候が悪化してきてラヴァタワー前では気温は2.5度まで下がり寒い。ここもキャンプ場となっているのか幾張かのテントが張られている。巨大な岩塊はどのようにしてできたのか良く知らないが地球のエネルギーを感じる。この岩をを登ることもできるらしい。そんな余裕のない我々は急いで全員で記念撮影をした後すぐに反対側に出て針路を南に変え、岩がゴロゴロした急な坂道をジグザグに下っていくと天気は良くなっている。稜線の反対側で天候が変わる典型的な現象である。

 2回休憩をとりキリマンジャロの裾野のグレートバランコ渓谷(Great Baranco Valley)では「ジャイアントセネシオの群生地」を眺めながら下っていく。「ジャイアントセネシオ」は高地にもかかわらず見上げるほどの高さである。一旦沢筋まで下った後、再び登り返し尾根を越えた後はだらだらと下っていく。。

 9時間の長丁場のトレックの後、バランコ(Baranco)キャンプ場に到着。下界(南側)にモシの街並みが見え、東隣の丘にはヘリコプター基地もある。北側にはキボ峰が手に取るように間近に見える。しかしまだ高い頂上を見上げると、とてもじゃないけど登頂は無理っぽいと思ってしまう。

 17時頃から小雨が降り出す。相変わらず食事を目の前にするとムカついてくるので今晩から高山病対策としてダイアモックスを半錠飲むことにする。血中酸素飽和濃度は80、脈拍数は90ぐらいである。9時から小雨が降だす。

起床時の霜が降りたテントとキボ峰→ シラ峰方面が朝日に照らされる→
朝食前→ 快晴の中 キボ峰を正面に見て出発→
雄大な景観の中を歩く→ 噴石の奇岩がゴロゴロしている→
上部中央よりレモショ、シラルートからの合流点→ 緩やかな1本道→
前方の尾根を越え、ラヴァタワーを目指す→ 氷雨の中で昼食→
ラヴァタワーに到着→ ラヴァタワー前にもキャンプ場がある→
南側からの巨大なラヴァタワー→ ラヴァタワーをドンドン下っていく→
後を振り返る 沢筋を越え少し登っていく→ 荒涼とした中を歩く→
キボ峰をバックにして→ 「ジャイアントセネシオ」の群生が見えてくる→
グレートバランコヴァレーをどんどん下っていく→ 巨大な「ジャイアントセネシオ」の中→
バランコキャンプ場に到着→ バランコキャンプ場→
キボ峰が手に取るように間近に→ 下界のモシ街

1月26日 バランコキャンプ→カランガキャンプ 本日の水平歩行距離:4.5Km 歩行時間:6:50
 朝6時に起床、テント内で1.7℃、屋外で-0.2℃である。昨夜の大雨でキボ峰は積雪がかなり広がっている。7時食事、ダイアモックスを半錠飲んで8時に東に向かって出発開始。本日はキボ峰の裾を巻いていくルートである。先に見えるバランコウォール(Baranco Wall)ではその急な高い岩稜を登りきらなければならない。皆さん難儀しているのか渋滞しているのが見える。岩場に差し掛かった後、珍しく大量に水が流れている沢を左に見て下っていく。底部で沢を3回渡り、登り返してジャイアントセネシオの林立する中を歩んでいくといよいよ垂直に近い岩壁に取り付く。高低差は優に250mは有りそうである。ポーターもこのきつい崖を重い荷物を持って渋滞を避けなければならないので大変である。後ろを振り返り見下ろすと先程渡った沢とその後方に今朝出発したバランコキャンプ場が眺められる。

 途中の空き地で早い昼食9:20とする。食が進まないため休憩のたびに栄養補給として飴玉やチョコレートを口に放り込む。一息付けてもう一登りである。キボ峰が崖の上に顔をのぞかせている。途中で可愛い女の子のポーターが我々を追い越していく。女性のポーターは珍しいが今回の登山中に3人見かける。やっとも思いで広い岩場平地がある稜線に到着して休憩。左手にキボ峰が大きく迫ってくる。ここからはガスが湧き出した中を緩やかに下ってからザレ場を登り返して次の稜線を目指す。稜線に出ると目の前が深い渓谷となってガクンと切れ堕ちている。カランガ渓谷(Karanga Valley)である。渓谷を挟んで反対側にカランガキャンプ場が見えてくる。あそこに行くには深い渓谷まで120m程急激な崖を下ってから90m登り返さなければならないと思うとがっくりする。

 観念してガスで濡れた急坂を下っていくが左側には奇妙な形をした溶岩や切れ堕ちた崖がかつての大規模な活動の一端を見せている。激下りのジグザグの道を下り、谷間に下りてから沢を渡り、左に登行禁止の立て札の立った砂走りの沢ルートを見てまた急な崖をジグザグに登って行く。やっとのことでカランガ(Karanga)キャンプ場に到着。傾斜のある台地で、南側の下にはモシの町が、北側にはキボ峰が間近にそびえている。水場までは先ほど渓谷を下らなければならない。

 夕食にチキンカレーが出たが食べられない。カレーは好物なのに残念。

キボ峰を眺めながらさあ出発→ 右手の岩壁を越えなければならない→
めずらしく水が流れる沢を左に眺めながら→ 他のグループがすでにバランコウォールに取り付いている→
まずは岩場に取り付く→ 先程の沢を渡る→
いよいよ岩稜への登坂が始まる→ きつい岩稜を登って行く→
重い荷物を持ったポーターも大変である→ 振り返ると先程の沢の向こうにバランコキャンプ場が→
眼下の登ってきたバランコウォールを振り返る→ キボ峰が呼んでいる→
平らな場所で各国の人達と昼食→ 道端に咲いている花とエバーラスティング?→
可愛い女の子のポーターと出会い→ やっと登りきり、ガスの中のキリマンジャロが→
ガスがあがってくる中を下っていく→ アザミぽい マウンテン・シスル(Mountain Thistle)?→
緩やかな登りとなる→ ようやく谷の向こう側にカランガキャンプ場が見えてきた→
荒々しい溶岩岩壁 ここから急激に下る→ カッパドキアか桂林か→
沢を渡り再度登り返して→ カランガキャンプ場に到着→
下界にモシの町→ 背後にキボ峰

1月27日 カランガキャンプ→バラフキャンプ 本日の水平歩行距離:3.4Km 歩行時間:4:30
 朝6時起床、外気温は6.5℃。昨夜は雨がよく降っていたためキボ峰は白い部分がが多くなった。8時に出発、本日も針路を東にとってキボ峰をずーっと左手に見ながら裾をを巻いて歩くルートである。少し雪が積もっている道を緩やかに登った後、平原に出てから後ろを振り向くとカランガキャンプとその後方にはメルー山が望める。やはり壮大なスケールである。キボ峰が段々近づく。あちこちにケルンが作られている「賽の河原」のような中を進む。氷河が残していった岩石(モレーンmoraine)かな。ここで休憩。

 しばらく下った後、目の前に崖が迫ってくる。ここで英気を養うために早めの昼食10:35を取る。日差しがあるため気温は22℃と温かい。急登を登り、左(北側)に折れ、今までに無い岩質が板状となった場所を歩むがそのたびにカラカラと音を立てる。更に登るとバラフ(Barafu)キャンプ場が見えてくる。バラフキャンプ場は尾根に沿って長く伸びているキャンプ地なので進行方向に転々とテントが張られている。カランガと同様傾斜地のためテントで寝ていると体がだんだんずれ下がっていく。管理事務所もある。

 キャンプ場の目の前にはマウェンジ峰(Mawenzi)と帰りのムェカ(Mweka)ルートが望める。天気も良いので寝袋を外に干す。しかしいつものように14:30から雲が下から上がり始めて雷も鳴り出し15時から雨が降り出す。夕食時には添乗員から登頂時には最悪の場合、風が強い吹雪となり、-15℃にもなる可能性もあるためできるだけの防寒着を着用するように指示されていたので食後、明日に向けて防寒対策を十分してからその格好で夕方16時から22時まで仮眠をとる。疲れているせいか意外に直ぐ寝入ることができた。

朝日に照らされるキボ峰→ 近づいてきたキボ峰に向かっていざ出発→
振り返って 左にカランガキャンプ場と中央奥にメルー山→ ケルンがある賽の河原の中を進む→
ケルンの先に真っ青な空に映える白いキボ峰→ 雪が残った道 早くもガスがせり上がってくる 9:30→
だらだらと下っていく→ またしても崖を登らなければならない→
振り返えると別グループも続いている→ 登った先にバラフキャンプ場が見えてきた→
岩質が変わってきて板状に この上がキャンプ場→ 左にマウェンジ峰とバラフキャンプ場の前に広がる平原→
雲に隠れたキボ峰とバラフゲート→ 登頂には右側にある急坂を登って行かねばならない→
大自然の中 左側に下山時に下っていくムェカルート →

ここで今回の設備の紹介

我が家を紹介します→ 二人で寝られるスペースが有り5cm厚マットが準備されている→
奥に公共トイレ手前の青テントが我々のトイレ→ ついでに我々のトイレの内部を公開 自然喚起される→
ついでにもう一つ 公共トイレの内部の様子

1月28日 バラフキャンプ→ステラポイント→ウフルピーク→バラフキャンプ→ミレミアムキャンプ 本日の水平歩行距離:13.1Km 歩行時間:13:30
 夜中の22時に起床してから靴の中と内股に携帯カイロを取り付ける。手袋用にもカイロを準備しておく。添乗員が準備してくれた日本のしょうゆ味のカップヌードルの夜食で腹を満たして、いよいよ北に向かって最大にして最後の難関であるキボ峰登行である。23時にキャンプ地を出発する。私以外は50ドルを支払ってポーターに荷物を預け、空荷で登って行く。私は「助けを借りず自力で登ってこその登山」との信念で自分でリュックを背負っていく。しかし中身は水1.2L、魔法瓶(登頂時に水が凍らないようにするため)に湯を500ccとお菓子位でありポケットには写真撮影用のスマートフォンのみなのでリュックの方が重い位である。サブリュックを持って来るべきであった。多分我々グループが一番駆けだろう、周りはまだ寝静まっている中、ヘッドライトを頼りに闇夜の中をきつい坂道を登って行く。一つ目の坂道を登りきるとキャンプ地が現れる。まだシーンとしている。ここから登頂のスタートをすれば良いのにと思ってしまう。

 真っ暗の中でまわりの状況が把握できないため精神的につらくなる。唯一夜空を見ると晴天であることが判り、オリオン座、スバルが頭上に輝いている。北斗七星も見えているようだが赤道付近からは見えるのかなぁ。高度が高いので見えるかもと思いながら一歩一歩ジグザグ道を登って行くが歩行速度は非常にゆっくりしているので仮寝したとはいえ、夜中に登っているのだからだんだん眠くなってくる。現在地も良く解らない。振り返るとモシの街並みの明かりが下方に輝いている。現在の気温は-2℃である。

 闇夜の歩行で水を飲むのも忘れていたため段々足取りも重くなり、歩きたく無くなる。昨日まで歩いてきてキリマンジャロの雄大な景色も充分堪能して満足していたので意を決してリーダーに下山することを申し出る。ところがどっこいこれがなかなか「うん」と言ってくれない。一人で下りるわけもいかないので仕方なしに励まされながらトボトボついて行く。ガイド達にはツア会社から登頂ノルマでもあるのかな。やっとの思いで稜線(噴火口の縁)に出ると右側(北側)下方にケニア国の街の明かりが見えてくる。

 稜線に出て左に折れるとステラポイント(Stella Point)に到着。しばらくしてから夜が白み始めて周りの景色が見えるようになる。晴天で風も無く、最高の登山日和である。だんだん元気が出てくる。ステラポイントからウフルピーク(Uhuru Peak)までは縁歩きで緩やかな道ではあるが1Kmと結構距離がある。右手には噴火の跡の巨大なクレーター、両側にはやがては無くなるだろう氷河が見える。ウフルピークへの途中でマウエンジ峰から昇ってくる御来光を見ることができた。登って来た苦労が吹き飛び感動する。ここでガイドに記念写真を撮ってもらう。ウフルピークでは多くの人達が記念撮影の順番待ちをしている。おとなしくしていればいつまでも順番が回ってこない。ガイドが無理やり場所取りしてくれたのでみんなで撮影後、ガイドに感謝の意を告げる。できれば氷河まで行きたかったが余分な体力が無いのと時間がかかりそうなので諦めざるを得ない。気温は-10℃になっているがあまり寒さは感じられない。日が上がるに従い暖かくなってくる。

 帰りはリーダーが心配してくれたのか私に二人のガイドが付いてくれて3人で砂礫の中を下っていく。明るい中で見たこの長い急坂を登ってきたのかと我ながら感心する。気温が上がってくるので服は少しづつ脱いでいく。途中何人かがヨレヨレでガイドと下っている姿を見かける。私も似たような様子であろう。私が何回か休憩を申し出るので途中でガイドが見兼ねて私の両肩を二人で担ぎ、下っていくがそのため歩く速度が速くなって反って疲れる。有難迷惑であるが文句は言えない。ようやくバラフキャンプ場に到着してやっと体を休めることができた。添乗員が登頂前に「根性で登れ」言っていた意味がようやく呑み込めた。キリマンジャロは特別な登山技術は必要なく只ひたすら「根性」で登る山である。今日は本当に強行軍の長い一日となったが充実した一日でもあった。

真夜中(23時)に出発→ 夜が白じんてきた→
マウェンジ峰の方向に御来光→ 朝日の中 氷河をバックに→
リーダー(Mr.Vicent)と一緒に 身長と足の長さに注目→ ディケン氷河?と彼方にメルー山→
ウフルピークに立つ→ 晴天で風も無いウフルピーク頂上→
レブマン氷河?をバックに→ 励ましてくれたガイド達と→ ディケン氷河?→
左右に氷河→ ステラポイントに戻っていく→ クレーター→
帰りにステラポイントで記念撮影→ 出てきたガスの中を下山開始

 一旦、バラフキャンプ場で昼食をとった後、ミレニアム(=ハイ)キャンプ場までは下り専用のムェカルートを南に下っていくことになる。正直、ここで一泊して体を休めたいところだが体に鞭打って下山していく。荒涼としたそして広々とした砂礫平原を徐々に下っていく。動けなくなった登山者を運ぶための担架やリヤカー(1輪車)のような乗り物が所々に道端に野ざらしで置かれている。この辺りで怪我人が多いのかな?疲れているので乗せてもらいたい気分である。途中でいつものように冷たい雨が降り出す。左にヘリコプター発着場が見える頃になると雨は上がり、久しぶりに周りに緑の低木々が多くなる。ミレニアム(Millennium)キャンプ場はもう近い。気温は8℃まで下がっている。

バラフキャンプ場から中央の斜面を下っていく予定→ 左側から右に進路をとり南下する→
荒涼とした砂礫の中、延々と道が続く→ 登山道横に置かれている担架→
無造作に置かれている救護用リヤカー→ ヘリコプター発着場もある→
緑木の中のミレニアムキャンプ場に到着→ ミレニアムキャンプ場

1月29日 ミレニアムキャンプ→ムェカゲート→Parkviewホテル 本日の水平歩行距離:4.1Km 歩行時間:2:20
 ミレニアム(=ハイ)キャンプ場からムェカ(Mweka)ゲートまでは樹木がヒース帯からジャングルと変わっていく整備された道を南に延々と下っていくだけである。各自、自由に下ることを許されるがゲート近くでブルーモンキーが3匹ぐらい梢に居るのを見たのと、何の木か判らないが巨木を見かけたので記念撮影をする位の単調な下山である。道は火山灰の細かい土で滑りやすくなっている。このムェカルートは最短でキボ峰に登頂するルートに利用されているらしい。

 ムェカゲートに到着するとみんなで希望の飲み物でキリマンジャロ登頂を祝して乾杯する。気温は30℃。小屋には大型の冷蔵庫もありビールなども販売されている。さぞかし売れるだろうなぁ。その後、ここで円陣を組んだサポーターの皆さんの祝福を受けながら登頂証明証(ウフルピークまで行った人はゴールド色、ステラポイントまでの人はグリーン色の証明書)を一人づつ授与されてからコーヒー畑を見ながらバスに揺られてホテルに帰る。ホテルに預けていたスーツケースを受け取って部屋に入り早速登山中の7日間の埃をシャワーで洗い流す。さっぱりした処でガイドに案内されて初日に行った土産物店とスーパーマーケットに土産物の買い物に出かける。残りのドルをすべてシリングに交換する。もちろん購入品のメインははキリマンジャロコーヒー(豆と引きの2種類)である。その他 Tシャツ、キリマンジャロビール6缶などを購入。ホテルに帰った後、ビールで夕食(豪華ではない)をとり、帰国に向けてスーツケースに荷物を詰め替えをするが土産物のビール缶でパンパンとなる。

朝のミレニアムキャンプ場とキボ峰→ 最後の片づけ→
最終日の下山開始。ヒース帯に入り、どんどん下っていく→ 時々前方が開ける→
世話になったガイドとキボ峰→ 段々キリマンジャロが遠くなる(寂)→
樹林帯を下って行く→ 巨木の前で→
 
ようやく到着 お疲れさん→  "Congratulations"と書かれた最後のムェカゲート→
ムェカゲートで記念撮影→ 登頂達成祝い 乾杯→
ムェカ登山口→ サポーターに祝福されリーダーから登頂証明証を受領→
   
ホテルでキリマンジャロビールで最後の晩餐→ お陰様でゴールドの登頂証明証を貰えました !(^^)!

1月30日 モシのホテル→アルーシャ国立公園→JRO空港→ボレ空港
 ホテルでの朝食は調子も良くなり普通に食事ができた。その後ロビーでサファリへの移動車を待っていると昨日まで案内してくれたガイド達が現れる。理由を聞くと本日から別のグループのキリマンジャロ登山に同行するとの事。本当にタフな連中であると同時にかわいそうになる。スーツケースをバスの上部に積み込み、サファリ見学に向い、メルー山頂上と東側の裾野を含むアルーシャ(Arusha)国立公園(広さ137平方km)でウォークサファリを楽しむ予定である。本日の服装はTシャツと短パン。

 車窓から次々と現れる街並み、人々の生活風景や広々とした草原を眺めながらキリマンジャロ空港への道を通り過ぎて更に西進する。長閑な田園風景では牛、羊、山羊が放牧されているがみんな痩せており、大体牧童が付いて歩いている。 点在する1m位の高さの土の塔は蟻塚と説明を受けた。アルーシャ大学の看板がある所で右に曲がり北進する。バナナ園などを通り過ぎるとンゴンゴンゲアゲート(Ngongongare Gate)である。受付棟で入場申請している間、一軒しかない土産物や作り物の像を眺めながら待つ。正面には噴火で中心部が欠けたメルー山がそびえている。バスで公園内に入って行き、荒れた未舗装の道をどんどん進んでいく。雰囲気は日本での林道走行とあまり違和感はない。走行途中はサルだけが現れるだけである。アルーシャ公園にはキリン、アフリカスイギュウ、シマウマ、イボイノシシなどが見られるがライオンはいないとのこと。

 18Km先の公園の中心部と思われる所(モメラゲートMomela Gate)にレインジャー?のヘッドクォーター事務所がある。ここはアフリカで5番目かつタンザニア第二の標高であるメルー(Meru)山(4565m)の登山口(頂上まで6時間)でもある。ここからライフル銃?を持ったレインジャーの人に案内してもらいウォーキングサファリを開始する。遠目ではあるがバッファローの群れを見ることができる。ルート上はメルー山からの沢や伏水のため地面が至る所でぬかるんでいる。トゥルルシア(Tululusia)の滝ではレンジャーの人がちゃんとポーズをとってくれる。よ~く要領が判っているようだ。

 サファリウォークが終わった後、再び車で北側に位置するモメラ(Momella)湖群まで移動する。その途中では水牛の群れをごく間近で見ることができた。湖には、ときに数千羽のフラミンゴが生息していると言われているが残念ながら1羽も居ない。多分季節が違うのだろう。カバらしきものが水面から頭を出したりしているのが微かに見えるだけである。湖畔の東屋で定番のランチパックで昼食とする。やはりここでもドイツ人のグループと一緒になる。帰りのバスの中から遠くにシマウマ、キリン、ゾウ、イボイノシシ、ウォーターバックが見られるが遠目のため良く分からない。望遠で撮った写真の方が良く見えていた。この国立公園内には地元人(マサイ族?)が住んでいるのを車窓から見られる。居留地のようなものだろうか。耕運機を使用していた。
 サファリと言ってもアルーシャ国立公園では動物見学、ウォーク見学 共にあまり期待しない方が良い。

 サファリ終了後そのままキリマンジャロ空港に向う。搭乗手続きをする時、機内から最後のキリマンジャロを見るため「右側の窓側のシートを」と要求するが英語が通じないのか職員がいい加減なのか通路側となっていた。気の弱い私はそのまま立ち去る。
 セキュリティ検査ではここタンザニアでもエチオピアのボレ空港と同様に靴まで脱ぐ必要があった。出国検査後、余ったタンザニア通貨を使いきるため4店しか開いていない免税店で、また土産用に缶入りキリマンジャロコーヒーとキリマンジャロ紅茶を購入。タラップで搭乗してタンザニア国とキリンマンジャロはこれでお別れである。制覇した偉大な山よバイバイ!!

 アディスアベバのボレ空港ではアフリカでの経済協力で多くの中国人達が出稼ぎに来ており中国の旧正月が近いためか搭乗者には労働者風の中国人が多く、満席である。かん高い声がうるさい。

Tutaonana Tena. また会いましょう。

車には日本の文字がそのまま→ 商売に向かう人達→
売店街→ スピード違反でパトカーに捕まるが許してくれた→

アルーシャ国立公園でのサファリ見学

ヌゴンゴンゲアゲート(Ngongongare Gate)→ 国立公園への入場受付→
メルー山を見ながらサファリウォーク→ 水牛の群れ→
ジャスミンの花→ トゥルルシア滝と銃を持ったレインジャー→
ガゼール→ シマウマ→
キリン どこにいるかな?→ 水牛→
ゾウとシマウマ

帰国

さようならキリマンジャロ→ 気分が悪くなった機内食

1月31日 香港→自宅
 JRO空港からの機内食で吐き気を模様してボレ空港からの1回目の機内食でも更に気分が悪くなりそれ以降の機内食2回は拒否してスプライトやお茶のみを頼む。機内のトイレで食べ物を戻し、幾分気分は楽になった。機内の低圧で高山病の症状が再発したようだ。香港では中国人たちは下りて機内は大分すいた。帰りの飛行時間10時間+4時間5分。

 成田空港に到着後、まだ食欲は無いが久しぶりとなる日本食を食べるためNさん、Sさんの3人で空港内の寿司屋に向かう。食後、最後の別れをしてそれぞれの目的地に分かれる。空港からリムジンバス(2800円)で東京駅まで行き、鍛冶橋駐車場から出る高速夜行バス(4000円)で三ノ宮まで帰ることにする。飛行機が定刻通り着くかどうか判らないため新幹線や飛行機の手配もままならないので遅延しても大丈夫なように夜行バス最終便の23:50発をネットで予約しておいた。

 まだ吐き気は残っており、寒い東京駅をうろうろしていると通行人が夜空を見上げている。何故かと思い見上げると月食が進行中であった。薄暗く月が見える。タンザニアではどうかなぁ。鍛冶橋の待合所ではたくさんの人達が日本各地のバスを待っている。これほど多いとは驚きである。3列リクライニングシートのトイレ付きのため比較的ゆったりしている。おかげでバスの中では結構眠れて大阪までほとんど気付かずに寝入ってしまった。

 帰宅後、10日ぶりの風呂に入って垢を流す。バス中で寝たにもかかわらず、眠気があり、心地よい自分の布団の中で夕方まで熟睡する。やはり大分疲れていたようだ。帰国後1週間ほどは胃がおかしかった。ヒマラヤといい、どうも胃が弱いようだ。今後のために胃を鍛えねばならない。今回のツアで体重は5kg減であった。

東京駅では皆既月食が進行中→ 土産のキリマンジャロコーヒーと紅茶
   

感想

  1. キリマンジャロの汚染が進んでいるのが気がかりである。登山客が増えるにしたがってトイレ処理、食器洗いの排水などによりキャンプ地で悪臭が漂い、登山道沿いの排泄による動植物への影響も心配される。
    ヒマラヤ街道などより環境の悪化がひどいように思う。
  2. やはりアフリカ大陸の自然はすごい印象である。ネパールと同様、悠久の地球の営みを感じたことは確かである。自然の偉大さと住む人間の逞しさに感動。
  3. 今回も登山2日目から吐き気があり、食事は進まなかった。指示通り水もたくさん飲んだがあまり効果はなかったようだ。自宅から持参したカップヌードルもカレー味のため食べる気がせず、あっさりしたしょうゆ味の物が良かった。
  4. 日中の疲れと湯たんぽのおかげでテントでの睡眠はよくとれた。
  5. 昼過ぎから雲が上がり始め小雨となることが多かったが長く降ることは無く、傘を持っていくことをお勧めする。合羽は着こむのが面倒だし蒸れる。
  6. 登頂時の行程は坂道が長くてしんどかった。一番空気の薄い時に一番長い時間歩かなければならないのは問題。もう少し、先にあるキャンプ地から出発するなどの配慮が必要である。
  7. 登山中は湿度が低いせいなのか気圧のせいか鼻の粘膜より出血があり鼻くそが毎日赤くなっていた。 また日焼けを侮っていたので鼻と唇の皮が剥けた。
  8. 登頂時に空荷で登るためにリュックをポーターに持ってもらうのに50$徴収される。これは おかしいのではないでしょうか?他社はそんなことはしていないと思いますけど。
  9. アルーシャ国立公園のサファリ見学は迫力に欠け、遠目で見るだけでまったくの期待外れであった。アルーシャでのサファリ観光は敬遠した方が良い。
  10. エチオピア航空の機内食は少し癖のある味であり、あまり食は進まない。
  11. 食欲不振時用に持って行った食べ物(エナージーパウチ、コンデンスミルク、チョコレート、飴玉)はエネルギー補給に役立ったが味の濃いカップヌードルは失敗。
  12. 西遊旅行の良い点は行き帰りのスーツケースの宅配は無料でやってくれる。事後に旅行記が送付されてくる。半面、寝袋は有料でまたダイアモックスは自分で手配しないといけない。

全般情報

  1. 公用言語はスワヒリ語+英語。 英語は若い子は大体しゃべれるようだ。店では英語はOK。
  2. 道路はイギリスの植民地であったためか日本と同じで左側通行。全然交通信号が無く、所々に段差を設けて減速させるようにしていた。 舗装も幹線道路のみ。
  3. 住民は道路脇に屯している。 三輪車(中国、インド製)も多く見かける。 車は日本車が多く、日本語が表記されたまま走っている。
  4. 街中でも民族衣装を着ているを多く見かけるいる。
  5. 宿泊部屋の電源は「BF」タイプである。230V 50Hz
  6. モシでのホテルはバスタブが無く、シャワーのみであった。
  7. ホテルでの朝食はパン、果物などのバイキング形式。 夕食もスープと細長いご飯位で大したことは無い。(値段によるのだろう)
  8. 登山中は電源、WiFiは使える所は無かったと思う。 山中でインターネットを使いたければ空港前か市内で「SIM」を購入を。
  9. 飲み水はホテルでは500ccのペットボトルが1本準備されており、旅行会社が適宜2L支給してくれるのでこれで事足りる。 登山中はコックが沸かした湯が自由に使える 。
  10. 2013年からキリマンジャロ登山に小さいペットボトルの持ち込みは罰金を取られるので水筒を持っていく必要があるが登山中に監視している様子は見られなかった。
  11. 登山者は白人の個人、団体と色々な人達を見かけるがドイツ人が多い。若い女性も多い。
  12. 登山中の食事は朝、晩は薄暗いテント内で、昼食は パック詰めした弁当。
  13. 登山中の食事の内容はおかゆ、パスタ、ジャガイモ、キュウリスープ、みそ汁、パン、ソーセージ、卵焼き、果物(マンゴ、パイナップル、スイカ、オレンジ)、その他飲み物は紅茶、ココアなど 。おやつにポップコーンも出る。
  14. テント泊では夕食後に支給される湯を湯たんぽ代わりに使用することで暖をとれる。レンタルしたインナー無しの冬用寝袋(5000円)はモンベル製ダウンハガー#1。 服を着こんで寒さはしのげた。
  15. トイレテント内に設置された簡易トイレで使用後はギロチンタイプのシャッターを引き出して下の受け皿に落とし込む。拭いた紙はそのまま一緒に。
  16. ウォシュレットトイレに慣れている人はウェットティッシュを持っていくと良い。その他色々使える。
  17. 必要品以外の荷物(7Kg程度)は自分で準備したバッグに詰めておくとポーターが運んでくれる。
  18. 天候は毎日、朝は快晴で日が高くなるにつれて雲が徐々にせり上がり、昼過ぎからは曇り、時々小雨がぱらついたりするけれど、夕食前には止んでしまう。 安定している1月を選んだが乾季の9月の方が良いかも。
    ポンチョか傘が便利。
  19. 心配していた寒さは朝晩は少し冷え込むが日中は日差しもあるので全く寒さを感じなくて、登頂時以外では日本の夏、秋山登山程度の服装で充分であった。
  20. 登頂時のみダウンジャケット、フフェイスガード、アンダーズボン、携帯カイロなどの防寒対策が必要である。
  21. 帽子、サングラス、日焼け止めは必携である。何にも対策しなかったので高度が上がるにつれ日焼けで鼻の皮が剥げたり、唇が割れたりした。
  22. 登山中は全くお金は必要ないので土産物購入用に日本からの持参金は100ドルのみ。
  23. 土産物店ではドルが使えるがスーパーマーケットでは現地通貨しか使えないので街中の両替屋でドルを交換しないといけない。 日本円も両替できる。
  24. ビールは地元の人のお薦めはサファリ、キリマンジャロビールの2種類であった。
  25. 蚊取り線香を持参したが全く刺されることも無く、この季節は虫を見かけることは無く、市内でも登山中でもサファリでも必要なかった。
  26. 歩行ルート記録はスマホアプリ「山旅ロガー」で軌跡、時間を記録。

追加情報

参考サイト

Asante!!

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