Mickey-sonのホーム山の部屋山紀行→海外→ネパール→ヒマラヤ街道

山紀行  ネパール

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エベレスト街道(エベレストベースキャンプ、カラパタール)

地図でコースをを見る  歩行距離 約120Km〜130Km

【日  時】 2014年10月28日(火)〜11月18日(火)
【山  名】 クーンブ・ヒマールKhumbu Himal (ヒマラヤベースキャンプ 5360m カラパタール 5545m)
【天  候】 ずーと晴れ
【メンバー】 Mickey-son 他11名+ツアリーダー1名+現地サポーター
【コース 】 1日目(10月28日)
自宅5:30→三ノ宮6:00〜6:20→関西空港10:00→香港空港13:25〜17:35→カトマンズ空港22:30→Radissonホテル(1300mH)25:50
2日目(10月29日)
Radissonホテル5:00→カトマンズ空港5:20〜6:15→ルクラ空港(2840mH)6:50→ルクラ(Holiday Rodge 2830mH)7:00→ゴンパ→裏山散策→ホリデイロッジ
3日目(10月30日)
ホリデイロッジ8:00→入山管理所8:15→Chaurikhaka(2725mH)8:45→Chheplung(2665mH)9:20→吊橋(2595mH)10:00→タド・コシ(Thade Koshi 2530mH)10:25→Ghat(2600mH)11:00→パクディン(Phakding 2610mH)12:00〜13:15→Toktok(2695mH)13:45→大滝(2710mH)14:05→ベンカル滝(Bengkar 2740mH)14:30→橋(2740mH)14:55→チュモワ(Chhumowa 2780mH)15:15→モンジョ→ゲストハウス(2835mH)15:35
4日目(10月31日)
モンジョ(Monjo)8:00→ビジターインフォメーションセンター(2875mH)8:15→吊橋(2820mH)8:25→ジョサレ(Jorsale 2810mH))8:35→吊橋(2820mH)8:55→2重吊橋(2930mH)9:15→休憩所(3155mH)10:35→ナムチェ(3440mH)12:10→ナムチェの丘→Sakura Guest House10:45
5日目(11月1日)
ナムチェ(Namche)8:00→シャンボチェ(Syanboche)空港(3720mH)9:10→エベレストビューホテル(3845mH)10:05〜10:55→クムジュン(3763mH)11:20〜12:50→クムジュンゴンパ(3790mH)13:10→ゴーキョ分岐(Sanasa 3645mH)14:05→キャンズマ→アマ・ダブラムロッジ(3600mH)14:20
6日目(11月2日)
キャンズマ(Chha)7:55→ゴーキョ分岐(3560mH)8:05→プンキ・テンガ(Phunki Tenga 3250mH)9:15→タンボチェ(3870mH)11:45→タンボチェ(ゲストハウスロッジ)11:45〜13:30→ナハモガン小ピーク取付13:40→ナンガゾン小ピーク(4000mH)14:25→タンボチェ14:45→慰霊碑見学14:50→ゲストハウスロッジ15:20
7日目(11月3日)
タンボチェ(Tengboche)9:00→デボチェ(Deboche)尼寺(3775mH)9:40→パンボチェ→エベレストビューロッジ(3980mH)11:25
8日目(11月4日)
パンボチェ(Pangbche)8:55→Sonam(4095mH)9:55→ペリチェ分岐(4200mH)10:55→橋(4190mH)11:15→ディンボチェ(4343mH)→Imza Valley Lodge(4400mH)11:45
9日目(11月5日)
ディンボチェ(Dingboche)8:15→ナンガゾン小ピーク取付8:40→ナンガゾン小ピーク(5075mH)10:30→Imza Valley Lodge12:05
10日目(11月6日)
ディンボチェ8:10→小ピーク(4475mH)8:30→トゥクラ(Thukla 4620mH)10:45〜12:30→慰霊碑群(4830mH)13:10→ロブチェ(4930mH)→National Park View Lodge14:35
11日目(11月7日)
ロブチェ(Lobuche)7:10→休憩(5125mH)8:40→ゴクラシェプ(5130mH)10:00〜10:35→クンブ氷河(430mH)10:35→エベレストベースキャンプ(5360mH)12:55〜13:25→ゴラクシェップ(5100mH)15:25
12日目(11月8日)
ゴラクシェップ(Gorak Shep 8:00→カラパタール(Kala Patthar 5545mH)10:15〜10:30→ゴラクシェプロッジ11:45〜12:50→ロブチェ→National Park View Lodge(4930mH)15:00
13日目(11月9日)
ロブチェ8:00→慰霊碑群8:45→トゥクラ9:20→分岐9:40→ペリチェ(Pherche 4240mH)11:00〜12:15→医療センター12:40→オルショ(Orsho 4085mH)13:25→ショマレ(Shomare 4050mH)13:55→パンボチェ→Everest View lodge(3980mH)14:45
14日目(11月10日)
パンボチェ(3980mH)8:00→デボチェ尼寺(3775mH)9:40→ディボチェ(Deboche 3775mH)9:30→タンボチェ10:00(3860mH)→プンキテンガ(3250mH)11:25→テシンガ(3480mH)12:25〜13:30→クムジュン(3780mH)15:00
15日目(11月11日)
クムジュン(Khumjung)8:00→クンデ(Khunde 3840mH)9:20→シャンボチェ空港(3720mH)10:25→ナムチェ11:20
16日目(11月12日)
予備日でナムチェ滞在
17日目(11月13日)
ナムチェ8:00→ポリスチェックポイント(3325mH)8:15→二重橋下(2855mH)9:30→ジョサレ(2810mH)10:10→ビジターインフォメーションセンター(2875mH)10:40→チュモア(2800mH)11:10〜12:40→ベンカー(2770mH)13:05→トクトク(2725mH)13:50→パクディン(2610mH)14:15
18日目(11月14日)
パクディン8:00→チュタワ(Chhuthawa 2545mH)8:35→タドコシ(Thado Koshi 2540mH)9:15→吊り橋(2560mH)9:45→チェプルング(Chhplung 2655mH)10:25→パサン・ラム・シェルパの記念門11:25→ルクラHoliday Rodge11:40
19日目(11月15日)
ルクラ空港7:15→カトマンズ空港8:05→Radissonホテル11:35
20日目(11月16日)
カトマンズ滞在、カトマンズ、パタン一日観光
21日目(11月17日)
カトマンズ滞在、自由行動
22日目(11月18日)
カトマンズ滞在、自由行動
チベットホテルで夕食会18:00〜19:30→カトマンズ空港21:00〜23:20→香港空港8:05〜10:30→関西空港14:50〜15:35→三ノ宮16:40→JR三ノ宮駅17:00→自宅18:10

 以前から世界各地の自然遺産を訪問したい希望があったのだで65歳直前で退社し、体力のあるうちに一番しんどそうだが人気のあるエベレスト街道トレッキングに参加することにした。時期は一番天候の安定している10月から11月の間に実行に移することに決めた。色々迷って旅行会社を決め、申し込みをする。5000m以上の高所トレッキングのため事前に健康診断が必要ということで近所の掛かり付けの病院で受診する。

 いよいよ決行する段になってから旅行日程が送られてきたのであるがネパールのカトマンズからルクラまでの国内線は持ち込み荷物の重量制限が厳しくて「15Kg以下厳守」と書かれていた上、「寒さ対策もしっかりせよ」と矛盾したことも書かれていたので持参する荷物の選別に苦心する。何度か体重計で荷物の重量を確認しながら優先度を考えながら荷物を省いていく。

10月28日 日本→カトマンズ
 自宅からJRを利用して三ノ宮からリムジンバス(1950円)で関西国際空港に向かう。8時に北団体カウンターでパスポートと旅行保険証書、搭乗券を受け取り、キャセイパシフィック航空(CX503便)で香港に向かう。他の参加者とは香港空港で集合することになっている。

 香港空港では4時間ほどのトランジットである。知り合いも居ないので広い空港をうろうろしていたが、なかなか搭乗口が発表されず、無料WiFiを利用してスマホで家族に連絡したり、無料インターネットを利用したりして時間を潰す。携帯の充電場所もある。最近の空港は通信機器に色々対応した設備が充実している。やがて発表された搭乗口で他の参加者(12名)およびツアリーダー(1名)と合流した後、香港ドラゴン航空(KA192便)に搭乗してダッカ経由でカトマンズに向かう。さすがに中国系の人が多い。ダッカまでは衣料関係の仕事でダッカに向かう会社員と、またダッカからは兄貴が姫路でネパールレストランをやっているというネパール人と談笑する。おかげで機内では退屈しなかった。深夜にカトマンズに到着する。ネパールと日本との時間差は3時間15分である。なぜ中途半端な15分を残したのかよく解せない。

10月29日 カトマンズ→ルクラ
 カトマンズについて眠たい目をこすりながら手荷物の受け取り場で手荷物が出てくるのを待ち構えていたのであるがコンベアが頻繁に停止してなかなか出てこない。ネパールでは電力事情が悪く計画停電があると聞いていたがそれだけが原因ではなさそうである。ようやく荷物を受け取り、国際空港とは思えないような雰囲気の通関手続きを終え、現地の旅行会社のマイクロバスに乗り込む。無秩序で混雑した駐車場を抜け出し、バスの中で5000円で4360ルピー通貨に交換してもらう。空港からホテルまでは街灯もない暗闇の中、車はバンピング、ジグザグ運転をしながらホテルに着く。どういった道路事情かも真っ暗なため皆目見当もつかない。

 到着後スーツケースの中身を支給されたダッフルバッグに詰め替え、明日に備える。東京から来られたYさんと同室となる。これからトレッキングが終了するまでお世話になります。睡眠時間3時間ほどで4時起床、ホテルでバイキング形式の朝食をとった後、朝暗い5時にホテルを出発してカトマンズ空港に行くと、もうすでにルクラ行きの搭乗待ちの登山客が並んでいた。やがて手荷物検査を受けるがリュックに付けていたアルミ製のホイッスルを検査係が無理やり没収しようとする。いくら笛だと説明しても返してくれない。どうもホイッスルがほしいみたいだ。持ち込み物の重量も計測するが団体のためか重量に関して全然いい加減なチェックである。折角、苦心して荷造りしたのに旅行会社はもっと適切な情報説明をしてほしいなぁ。検査後、一度飛行機までバスで向かうがすぐに引き返し、空港で待機する。最初は何事があったのかと思っていたがルクラ行の天候具合が悪いため出発を見合したようだ。しかし10分ほどで再び飛行機に取って返し、搭乗する。

 セスナ機ような小さな飛行機への搭乗は初めての経験である。13人が乗り込み、前を見ると操縦席は丸見えで、女性操縦士だし、まさかの美人スチワーデスまで乗っている。大きなプロペラ騒音の元、飛行機は順調に飛び立ち、スチワーデスの簡単な説明と飴玉を受け取った後、機内からヒマラヤの雄大な山並みを観賞しながら30分程飛行。高度を下げ、谷筋に進入すると登山家のヒラリーが作ったといわれる上り坂となっている短い滑走路(長さ400m?)に着陸する。離陸は逆に下り坂を利用する。いよいよエベレスト街道のトレッキングの玄関口のルクラ(Lukla)である。飛行場から見上げると雪を抱いたヌプラ(Nupla 5885mH)、コンデリ(Kongde Ri 6187mH)が見える。

 空港から歩いて5分ほどでルクラの商店街となりその中に宿泊するホリデイロッジがある。その日はルクラで1日ゆっくりと滞在することになっており、ルクラの小さな店が軒を連ねている通りでウィンドウショッピングを楽しむ。町並みは15分程歩くと途切れる小さな町であるが色々な登山用品や土産物の店が軒を連ねている。登山用品はコピー品なのか判らないが非常に安い。冷やかしも兼ねてそれなりに時間を潰せる。また電気屋で携帯電話用の「SIM」が買える。パッチ物のスターバックス、ファミリーマートもある。ロッジの裏側のベランダからは空港を離発着する飛行機とヌプラ(Nupla 5885mH)が見える。

 昼食時、参加者の自己紹介を行う。皆さん東京、名古屋、大阪、九州からそれぞれ一人参加の方ばかりで12名中3名が女性である。年齢は33歳から70歳まででヒマラヤを7000mHまでを2回登った人やキリマンジャロを制覇した人などみなさん相当な経歴の人達ばかりである。また合わせてスタッフ(サーダー、コック長)の紹介もあった。サーダー(シェルパ頭またはチーフガイドのこと)のオンジ(Ongje Sherpa)さんはエベレスト3回、マナスル2回などを登頂した兵である。最近では三浦雄一郎のエベレスト登山に随行したという。

 昼からは体慣らしを兼ねて全員でゴンパ見学と裏山にハイキングに行く。ゴンパでは若い(子供)修行僧が熱心に独特の低い声で経典を読んでいた。日本人妻が営んでいる店があって親切に応対してくれる。

ルクラ生き飛行機 女性の操縦士 スチワーデス
カトマンズ空港からルクラに移動→ 右は女性の操縦士→ 飴玉を配るスチワーデスが一人→
ネパールの山並み ルクラ到着 ルクラ空港
機内からネパールの山並みを見る→ ルクラ到着→ ルクラ空港 手前に上り坂になっている→
ルクラの町並み ゴンパとゾッキョ ゴンパの内部
ルクラの町並み→ 右にゴンパとゾッキョ→ ルクラのゴンパの内部→

10月30日 ルクラ→モンジョ
 朝6時起床、7時食事、気温8℃の中、8時に出発開始。エベレスト街道トレッキングの始まりである。 一日に登る高度差は高山病に順応させるために500mH程度以下に抑えられている。ツアリーダーからはトレッキング中はアルコール禁止、食事は腹8分目とシャワー制限などを要請をされた。アルコールと食事は高山病対策、シャワーは風邪対策である。久しぶりの禁酒生活に入った。また同時に毎朝、血中酸素濃度と心拍数を計測できるパルスオキシメーター(正式には「動脈血中酸素飽和度 SpO2」)で人差し指に差し込み測定し、ツアリーダーに結果と体調を報告する手順がとられた。万一のためガイドの一人は常に長さ60cmぐらいの酸素ボンベをトレッキング中、携帯して随行している。ボンベを持ってみたが結構軽かった。容器は強化プラスティックでできているようだ。

 ルクラの入山管理所で証明書を提示して、村はずれにあるネパール女性初のエヴェレスト登頂者パサン・ラム・シェルパ(Pasang Lhamu Sherpa)の記念門をくぐとエベレスト街道の開始口である。ここでルクラの集落が終わり、下り坂の道となる。ドゥード・コシ(Dudh Koshi)の谷間と石垣に囲まれた家々や段々畑が広がり、このルートが生活街道であることも頷ける。大きな荷物を背負ったポーターや首に掛けられたカウベルを鳴らしながらゾッキョ、馬、ロバと頻繁に出会う。このためトレッキング道は地面には注意。ゾッキョ達のウンコがそこかしこに落ちている。うっかりよそ見はできない。と言いながらも周りの雄大な景色につい見とれてしまう。正面には聖なる山クンビラ(Khumbi Yul Lha 5761mH)が見えてくる。

 トレック道沿いにはトレッカー相手の売店が点在しており、ビール(缶)、コーラなどの飲み物や、トイレトペーパー、お菓子などが販売されている。特に疲れた時にビールを見ると喉がググッと反応する。しかしそれ程売れているような様子ではないので賞味期限は大丈夫かなと要らぬ心配をする。また馬のレンタルの看板も揚がっており、たまに馬に乗って街道を駆け抜けていく姿を見かける。

 下りきるとチャプリン(Chheplung)で左からの旧道と合流する。大きなマニ車が左右に設置されて我々を迎えてくれる。マニ車は大小様々、町の入口、出口や至る所で見かける。中にはお経が入っており、1回まわすと1回お経を唱えたご利益がある。ガイドは必ずマニ車、マニ石を右にして通過するように歩く。仏教徒の慣習となっているらしい。ここから登りとなり、ドゥード・コシ川沿いの谷間をいくつかの吊橋を渡りながら歩いて行く。この付近は経文を彫ったマニ石が散在する。吊橋では人同士の場合は対向できる幅があるがゾッキョなどが通過する時には橋の袂で待機して通り過ぎるのを待たなければならない。多くのゾッキョの後から付いて渡る時にはその重量で吊橋が壊れないか心配になる。

 ドゥード・コシ川近くのパクディン(Phakding)で昼食を採る。ここからヌプラが見えるはずであるが生憎、山には雲がかかっている。気温は18℃位である。日差しがあるのでこの時期でも結構暖かい。Tシャツでも大丈夫である。しかし強い日差しには要注意である。紫外線のため目と肌がやられる。

 松林の中、小さなアップダウンを繰り返してから小さな水力発電所(出力70kW )があるトクトク(Toktok)を過ぎると左側に大滝を見る。更に次の滝を見るとベンカル(Benker)村であり、ここはルクラ、ナムチェにそれぞれ4時間の中間点となっている。橋を渡り、左岸に渡り、林に入る。チュモワ(Chhumowa)では日本人が開いたロッジ「はたご」跡あり、ここで近所の子供たちに勉強を教えていたらしい。志は良かったのであるが本人が違法滞在ということで無くなったしまったらしい。山腹を巻きながら下り、キャシャール川(Kyashar Khola)を渡り少し登ると本日の宿泊地のモンジョ(Monjo)のゲストハウスロッジに到着、気温は14℃である。ロッジの正面にはタムセルク(Thamserku 6341mH)が見える。

※ゾッキョ:ヤクと牛の交配種(1代限り)で牛よりも高所に強く、 ヤクよりもおとなしいので、高山での荷運びに使われる。

パサン・ラム・シェルパの記念門 入山管理所 ゾッキョが通る
パサン・ラム・シェルパの記念門→ 入山管理所→ そこのけそこのけゾッキョが通る→
トレッキング中 クンビラ マニ車
至る所にあるロッジの横を通過→ 聖山クンビラが正面に見え出す→ Chheplungの村でマニ車が迎えてくれる→
ガスボンベを運ぶ馬たち ドゥード・コシ川を渡る吊橋 タドコシでの橋
ガスボンベを運ぶ馬たち → ドゥード・コシ川を渡る吊橋を馬たちが通る→  タドコシでの橋 たくさんのトレッカー→ 
パクディン  パクディン モンジョのロッジ
パクディン手前付近→ パクディンへ向かい、昼食→ モンジョのロッジに到着→

10月31日 モンジョ→ナムチェ
 早朝の室温は8℃。ドゥード・コシ川沿いに正面に聖山のクンビラを見ながらのトレッキングである。少し下るとジョサレ(Jorsale)で世界遺産のサガルマータ(Sagarmatha ネパール語でエベレスト)国立公園のチェックポイントとなり、入山手続きをサーダーが行ってくれる。河原をしばらく歩いた後、50m程登り、ドゥード・コシとボーテ・コシ(Bhote Kosi)が合流する地点で高度感のある2重吊橋が現れる。この橋をを渡ると、高度差600mのナムチェ坂が始まる。ここから樹林帯の山腹をジグザグに登って行く。道はかなり細かい土で、歩くと砂埃が舞い上がる。多くの人達が口に布などを当てて歩いている。標高差があるので急いで歩くのは禁物である。重い荷物をかついだポーターもしんどそうだし、ゾッキョも舌を出して苦しそう。上り坂の途中の休憩地(トップ・ダラ)でほんの少しであるが右側の梢越しに初めてエベレスト(8,848m)が顔を出している。初めてのご対面で皆さん盛んにシャッターを切っている。私も。

 最後の坂を登りきると階段状の町ナムチェ((Namche クンブ地方最大の集落)である。ここからは未経験の高度となる。仏門をくぐると右側に水が勢いよく流れている沢で多くの女性たちが洗濯をしている。ナムチェは3方を丘陵で囲まれ、南側が開けた馬蹄形の窪地に2階建、3階建の民家やロッジが密集している。今夜泊まるロッジは4階建ての南向きの建物で結構小ぎれいである。部屋にコンセントも設置されている。

 宿に入った後、リュックを置いてナムチェの丘に見学に行く。ネパール陸軍基地施設のそばを通り、頂上に着くとテンジンの記念碑の先にはヌプツェ、エベレスト、ローツェが望める。右には尾根沿いにアマ・ダブラムも。次に100ルピー払って博物館(The Sherpa Saga Sanctuary)も見学。中にはエベレストを登頂した歴代のセルパの写真や古い生活道具などが展示されていた。

 ロッジに帰り、カメラの電池を充電しようとしたのだが充電器が見当たらない。あちこち探すがやはり無い。カトマンズのホテルでは使っていたのでそこに忘れてきたのかもしれない。サーダーに頼んで充電器をナムチェの町に買い求めに行く。カメラ屋に行くと充電器はあったのだがあまりに高くて(6000ルピー)断念。次に電気屋に向かい400ルピーで中国製の汎用性充電器があったので購入する。これで何とか充電ができるようになった。折角ヒマラヤにまで来て雄大な山岳写真が撮れないのではあまりにも惨めである。良かった。更に厚手のシャツも行方不明。サングラスといい、充電器といい、シャツといい、色々問題ばかりである。これから慎重に行動しないと次は何が起こることか。忘れ物の充電器とシャツの行方の結果は? →カトマンズに帰還後、ホテルに預けていたスーツケースを開けると、どちらも中に鎮座していた。あわて者でお恥ずかしい限り。

 夕方、ナムチェにショッピングに出歩く。同室のYさんがウェストバックが欲しいということで付いていったのであるが街は土産物、トレッキング用品店を中心に、小さなお店がいっぱい。普通の食料品店もあるし、ベーカリーやインターネットカフェもある。ぶらぶら街歩きが楽しい。あまりにも登山衣料が安かったので「マムート」のゴアテックス製の上着3500ルピーを値切って3000ルピーで購入してしまったが相当安い。本物であって欲しい(笑)。他にも色々な登山用品も非常に安い。ついまた購入したくなる。手持ちの現地通貨はこれで1000ルピーぐらいしか残っていない。ナムチェでは銀行もあり、両替は可能であるが、まあ、後は使うことは無いだろうと思い、両替せず。

タムセルク トイレ クンビラ
タムセルク→ 枯葉で始末するトイレ→ クンビラ→
サガルマータ国立公園 吊橋 ジョサレの村
サガルマータ国立公園入口→ 吊橋を渡る→ ドゥード・コシ川とジョサレの村→
2重吊橋 ポーター達 エベレスト
2重吊橋で川が合流する→ 山のような大きな荷物を持つポーター達→  ローチェの奥に初めて見るエベレスト→ 
ナムチェ入口 ナムチェのメインストリート ナムチェ全景
ナムチェ入口の洗濯場→ ナムチェのメインストリート→ ナムチェ全景→
ヌプラとコンデ・リ ナムチェの丘 sakuraロッジ
左からヌプラとコンデ・リ→ ナムチェの丘からエベレストを望む→ sakuraロッジの部屋→

11月1日 ナムチェ→キャンズマ
 ナムチェのロッジからは朝日が当たり始めたコンデリ(Kongde Ri 6187mH)が見える。室温は7℃である。ロッジを出発するといきなり階段の登りが始まり、 正直、朝からかなりきつい。早くも息が切れる。 そしてそのまま町を抜け、シャンボチェ(Syanboche)の丘へのジグザグの急登に突入。狭い山道はたくさんのトレッカーで、場所によっては渋滞している。更にゾッキョなども入り乱れ、ほこりがあたりに舞い上がる。ナムチェから高所は運搬動物は馬からゾッキョに変わってくる。

 登りきるとシャンボチェ飛行場の右側に出た後、しばらく歩くとエベレスト(ネパール名Sagarmathaサガルマタ)がよく見えるシャンボチェの丘に出る。ここでハプニング発生。景色に見とれる間に帽子の上につけていたサングラスを落とし、踏みつけて柄を壊してしまった。もう駄目と思いごみ箱に捨てようとした時、サーダーが修理してやると言ってくれたので手渡す。しかし修理は難しい状況であると思う。トレックの初頭の上、日差しもきついので、次のナムチェでサングラスを購入するつもりでいた。

 更に進むと日本人が作ったエベレストビューホテルに到着。ここの東側のテラスからは北にホテルの名前の由来通り、エベレストが顔を出している。エベレスト(Everest 8848mH)、ローツェ(Lhotse 8516mH)、アマ・ダブラム(Ama Dablam 6812mH)、タムセルク(Thamserku 6623mH)、クスムカングル(Kusum Kanguru 6367mH)などの展望がたっぷりである。ここでのコーヒはポットで提供され、1500ルピーである。5人単位で注文したのであるが量が多く飲みきれない。雰囲気の良いホテルであるが宿泊料金も高いらしい。

 エベレストビューホテルから下っって行くとシェルパ族の神の山クンビラの南斜面に広がるクムジュン(Khumjung)村である。ここで昼食とする。クムジュンの建物の屋根や窓枠、ドアは、緑で統一されて綺麗である。各家には石垣で囲いをした畑が多くみられるがこの時期には何も植わっていない。ロッジの周りには燃料にするためたくさんのヤクの糞(ゾッキョの糞は燃料にはならないらしい)を石垣に張り付けて乾かしている。近くで子供たちが遊んでいるので飴をあげると喜んでくれる。昼食前にサーダーが壊れたサングラスを接着剤で修理して持ってきてくれた。すぐ接着が剥がれると思い、恐る恐る装着するが問題なく使用できた。結局旅行の最終日まで使用できた。サーダーに感謝である。

 昼食後、クムジュンのゴンパに有名なイェティ(雪男)の頭皮があるので見学に行った。お布施を払って扉を開けてもらってじっくり見るが毛皮のように見える。まぁ雪男と思う方がロマンがあっていいのかも。その後、サナサ(Sanasa)でゴーキョに行く道(分岐)を左に見て下っていき、キャンズマで宿泊となる。アマ・ダブラムロッジのすぐ下の広場にはネパールの国鳥のダンフェ(ニジキジ)が1匹がくちばしで地面を突つき、エサを探している。あくる日も同じ場所にいたので飼われているのかもしれない。ロッジ前のテラスからは東側にタムセルク(Thamserku 6648mH)、アマ・ダブラ(Ama Dablam 6814mH)、北東にローツェ(Lhotse 8501mH)、北西にクンビラ(Khumbi Lha 5761mH)が望める。

マニ石 トレッキング中 コンデ・リをバックに
経典が書かれたマニ石の横を進む→ ジグザグの急登を登っていく→ コンデ・リをバックに→
ローチェの奥にエベレスト アマ・ダブラム タウチェ
ローチェの奥にエベレスト→ アマ・ダブラムの雄姿→ 左にタウチェ 広々とした高原を行く→
カンテガ エベレストビューホテル クムジュン
カン・テガ→ エベレストビューホテルのテラスから→ クムジュンで統一された色の家とタムセルク
食事献立 ヤク ヤクの糞
昼食にそうめんと巻きずし?が出た→ 庭にいたヤク→ あちこちにヤクの糞が干されれている→
イェティ(雪男 農業に精を出す女性達 キャンズマ
イェティ(雪男)の頭→ 農業に精を出す女性達→ キャンズマのアマ・ダブラムロッジ→

11月2日 キャンズマ→タンボチェ
 早朝のアマ・ダブラムロッジの室温は7℃。本日はキャンズマからは300m下り、600mの急登を登る行程である。すぐに4差路となりナムチェ、クムジュン、ゴーキョ、パンボチェの方向と時間が書かれた看板がある。通学中の子供達に出会う。こういった場所では坂道で、かつ距離もあり通学は大変であろう。高所、坂道、毎日の3拍子の鍛錬でオリンピック選手が育っても不思議でもない環境である。子供達よ大変だろうが頑張って!!

 深いドゥード・コシ川の渓谷を見てテシンガ村を過ぎ、一旦プンキ・テンガ(Phunki Tenga 3,250mH)まで標高を下げ、谷底まで下る。吊り橋を渡ってプンキ・テンガの村を通り過ぎると、水流マニ車の建物が5棟ほど建ち並んでいる。マニ車の下に取り付けられた羽根を、川の水流で自動的に回すタイプのものである。この内、3つほど故障していた。水の力でお経を読んだことにするなんて無精にも程がある。ここがチェックポイントなのかネパールの陸軍兵士が監視していた。パン屋があったのでI女史が購入して分けてくれたがおいしいチョコレートロール(300ルピー/個)であった。ここからタンボチェ(Tengboche 3870mH)までの標高差600mの登りが待っている。

 樹林帯の中を1時間半程、急坂を登ると少し傾斜もゆるくなり、道が左に曲がるとゴンパの仏門となる。ここをくぐるとタンボチェの台地にようやくたどり着く。ナムチェからは12Kmの距離である。正面は広々とした広場となっており、その先にはヌプチェ(Nuptse 7884mH)、エベレスト(Everest 8848mH)、ローチェ(Lhotse 8501mH)、アマ・ダブラム(Ama Dablam 6812mH)が見事に展望でき、明日からトレックする道も延々と続いているのも見える。振り返るとナムチェから来た道も山腹に延々と続いているのが見える。遠くまで来たものだし、これからも先は長いのが実感できる風景である。左には雪を冠ってしないクンビラ(Khumbi Yul Lha 5761mH)、右にはカン・テガ(Kang Tega 6783mH)、タムセルク(Tamserku 6341mH)の大岩稜が迫ってくる。素晴らしい眺望で疲れも吹っ飛ぶ。

 ロッジ前の庭でいつもの到着後のオレンジジュースを飲んだ後、昼食をとりその後、高山病予防のため東側にあるハモガン小ピークをハイキング。高度4000mH付近までを往復する。午後となっているため、雲がかかってきてだんだん眺望が悪くなる。ここまで高度を上げるとやはり息が切れてくる。下山後はタンボチェ寺院の奥の小高い丘に立っている登山家加藤保夫氏(春季・秋季・冬季の三度エベレストへ登頂)の慰霊碑、ジュディオングが建立した湯浅道夫と橋本龍太郎筆の版などを見学してロッジに戻る。

 16時からはこの地方最大のタンボチェゴンパ(チベット仏教の僧院)で法要があるということで、見学(内部は撮影禁止)に行くが法要が長いので途中で帰ってきた。中では30人ほどの僧侶達が読経しながら鳴り物を鳴らしている。大きなアルプスホルンのような2本のラッパ(ドウン)が極低音を出していた。ゴンパの本堂は以前に焼失し、再建したらしい。

 タンボチェにはロッジと僧侶の住居以外に現地人の住居は無さそう。ゲストハウスロッジで宿泊。

アマ・ダブラムとタンボチェの村 サナサ(Sanasa)
左はアマ・ダブラム 中央の丘にタンボチェの村→ サナサ(Sanasa)での4差路→ 我々のコック達が追い越していく。→
み箱 プンキテンガの村 水車で回るマニ車
所々にあるごみ箱と疲れをいやしているポーター→ つり橋を渡るとプンキテンガの村→ 水車で回るマニ車→
プンキテンガのパン屋 ネパール軍兵士 インド系の売り子
プンキテンガ道端のパン屋→ この先にネパール軍兵士が監視している→ インド系の売り子→
コンデ・リとヌプラ ヒマラヤとアマ・ダブラム タムセルク
振り返ってコンデ・リとヌプラ 左はルクラ方面→ タンボチェから見たヒマラヤとアマ・ダブラム→ 南にはタムセルクの雄姿→
タンボチェから見たヒマラヤ 憩いのひと時 タンボチェを見下ろす
タンボチェから見たヒマラヤ→ 昼食前にロッジ前で日向ぼっこ→ ハモガン小ピークからタンボチェを見下ろす→
ハモガン小ピーク 加藤保男の慰霊碑 タンボチェゴンパ
ハモガン小ピークからエベレストとローツェ→ 登山家 加藤保男の慰霊碑→ タンボチェゴンパ→ 
ヘリコプターで送り迎え 太陽光集熱装置 ゲストハウスロッジ
ヘリコプターで送り迎え 羨ましいぃー→ 太陽光集熱装置→ タンボチェのゲストハウスロッジ→

11月3日 タンボチェ→パンボチェ
 ロッジでの室温は4℃、外気は1.5℃(8:00)で今までで一番寒い朝となった。11月2日のタンボチェ(3870mH)到着からどうも高山病になったようである。むかつきが出てきて朝にだされる「おかゆ」が食べられなくなってきた。食欲不振となり、下痢もしてきた。持参してきた飴、チョコレートで栄養補給する。また靴紐を結ぶ時には自然と胸を圧迫するためか息苦しくもなる。心拍数も100を超えるようになり心臓も酸素が足りないので回数でこなそうとしている。本日朝よりダイアモックスの薬をツアリーダーより朝、晩に1錠づつ貰い飲用することにした。高山病の症状は私の場合、頭痛など他の症状は無く、食欲不振だけである。日頃、登山、テニス、自転車と運動しているので心肺能力には自信があったのであるが瞬発能力はあっても持続能力に乏しかったみたいである。ちなみに事前の健康診断では肺活量は4300ccである。

 本日は歩行距離も短いので1時間遅らせて9時に出発する。相変わらず快晴である。タンボチェ台地を緩やかに下るとシャクナゲの林に入る。途中、尼寺を見たいという人がいたのでデボチェで横道にそれて見学に行く。境内では尼さん2人が相手の頭髪を剃刀で剃っていた。周りにある尼さんの住まいはぼろぼろでこれで寒さをしのげるのかと心配になるぐらい古そうである。こういった人里を離れた場所で修行しているのには感心する。尼寺を一周して元の道に戻る。日差しが強いため昼間の気温は18℃位になっている。乾燥+日差しのため唇がカサカサとなって割れてきた。

 デボチェからは平らな道となりやがてイムジャ川の吊り橋で右岸に渡り斜面を登る。行く手には母の首飾りという意味のアマ・ダブラム(Ama Dablam 6814mH)の優美な姿が望める。急坂を一登りすると仏塔(チョルテン)が現れ、マニ石の列が続いている。少し行くと仏門となり、その天井には曼荼羅の絵が描かれている。仏門をくぐり抜けて、尾根を左に巻くと最奥の定住村であるパンボチェの村が見えてくる。

 本日の宿泊のパンボチェのロッジからは北側にタウチェ、ヌプツェ、ローツェが、南側にカンテガ、東側にはアマ・ダブラムが見える。この独特の山容は一度見たら忘れられない。私の大好きな山である。

※ダイアモックスはもともと緑内障の治療薬で高山病予防薬ではないので仮に日本で入手しようとする場合、医師または薬剤師の処方箋が必要な薬。
※チョルテンは仏塔を意味するチベット語

ポーター達が出発の準備 タンボチェ出発前にエベレストをバックに 尼さん同士で剃髪
ポーター達が出発の準備に忙しい→ タンボチェ出発前にエベレストをバックに→ 尼さん同士で剃髪→
ドゥード・コシ川とアマ・ダブラム タウチェとパンボチェの村 カン・テガとタムセルク
イムジャ川とアマ・ダブラム→ タウチェと中央の丘にはパンボチェの村→ カン・テガとタムセルク→
チョルテンとアマ・ダブラム 曼荼羅の絵 ゴーキョへの道
チョルテンとアマ・ダブラム→ 仏門の天井に曼荼羅の絵→ 左上部はゴーキョへの道→
パンボチェの村とアマ・ダブラム エベレストビューロッジとアマ・ダブラム カン・テガとタムセルク
パンボチェの村とアマ・ダブラム→ エベレストビューロッジとアマ・ダブラム→ 夕方にロッジからカン・テガとタムセルクを見る→
パンボチェのロッジとエベレスト エベレストビューロッジ室内 本日の食事献立
パンボチェのロッジから夕日に映えるエベレスト→ パンボチェのエベレストビューロッジ室内→ 豪華な?食事(おかゆ、チャパティ、卵焼き)

11月4日 パンボチェ→ディンボチェ
 ロッジでの室温は2℃(8:00)で前日と同様であった。本日も行程が短いので1時間遅い9時に出発。すぐに水場となっている沢を渡る。正面にプモ・リ(Pumo Ri 7165mH)が見え出した。ツロ(Tsuro)で左にペリチェ(Pheriche)への分岐に出会った後、谷を下り、沢の合流地点で橋を渡る。宿泊地のディンボチェ(Dingpoche)に到着。気温は20℃になっている。休憩の後、希望者は近くのナンガゾン小ピークに登りに行くが、疲れていたのでスキップすることにした。本日宿泊のImza Valley Lodgeからは左にタウチェ(Tawoche 6542mH)、正面にヌプチェ(Nuptse 7864mH)、ローチェ(Lhotse 8516mH)、アイランドピーク(Island Peak 6165mH)、右にアマ・ダブラム(Ama Dablam 6814mH)がそびえている。ロッジではWiHi設備は無しで電池の充電は太陽光発電であった。

ディンボチェとローチェ、エベレスト ポーターとアマ・ダブラム アマ・ダブラム
手前の谷間のディンボチェとローチェ、エベレスト→ 建築資材のコンパネを運ぶポーターが休憩中→ 雄大な風景の中をトレック→
ヤク 合流地点 分岐道
LPGボンベを背負ったヤクとすれ違う→ 右からの沢との合流地点→ 左手に谷間コースをトレックする分岐道→
ディンボチェの村 ディンボチェのイムザバレーロッジ ディンボチェのロッジの部屋
ディンボチェの村が見え出した→ ディンボチェのイムザバレーロッジ→ ディンボチェのロッジの部屋→

11月5日 ディンボチェ滞在
 早朝の室温は−0.4℃、外気温は−7℃と冷え込む。本日は高所順応日で8:00からナンガゾン小ピーク(5075mH)とチュクン(Chukhung 4730mH)に行く2つのグループに分かれて高所順応のため登りに行く。昨日行かなかったナンガゾン小ピークを選択して巨大なカールの右岸側をジグザグの急坂を登っていく。左下(西側)に見える谷間はペリチェを通過する道である。ピークまではいかず、4800mH付近で下山する。帰路は風も出てきて足で掻き上げる砂埃が巻き上がるためマスクをして同じルートを下山。ディンボチェに連泊する。気温は5℃になっている。

出発前の一時 ディンボチェの村とタウチェ ペリチェへの道
出発前の一時→ ディンボチェの村とタウチェ→ 振り返って谷底にあるペリチェへの道→
チョラツォ、ロブチェイースト イムジャ(Imja)川とチュクンピーク ナンガゾン小ピークからアイランドピーク
左からチョラツォ、ロブチェイースト→ イムジャ(Imja)川とチュクンピーク→ ナンガゾン小ピークからアイランドピークのひだ→

11月6日 ディンボチェ→ロブチェ
 早朝の室温は2.5℃で昨日より少し暖かい。いつものように6時起床、7時食事、8時10分にディンボチェを出発して少し高度を上げ、クーンブ(Khumbu)氷河跡のカール(氷河の侵食により出来たU字谷)の中を進む。この辺りは広々として気持ちの良いコースである。6月には花が一杯に咲いているらしい。サーダーはぜひその時に来てくれと言っていた。サーダーは英語が堪能で、対して私の拙い英語で色々と話をする。結婚していて2人の娘がカトマンズの家に居るようだ。

 左手下にはペリチェの町にある医療センターの近くにあるヘリポートに頻繁に離発着しているのが見える。朝から治療の必要な人を運んでいるようだ。更に進んでいくと昨日ナンガゾン小ピークから見たチョラツォ湖が見えてくる。斜面にはヤクが歩く道が文目状にたくさんある。先に進むと夏季にヤクを放牧するために居住する小さな家がポツンポツンと立っている。

 沢を渡るとトゥクラ(Thukla)で、ここのヤクロッジで昼食とする。ここは僅か数軒のロッジ、茶屋があるに過ぎないがコースの分岐点であるため、多くのトレッカーが屯している。タンボチェのロッジでも見かけた太陽光集熱装置(パラボラ風で中央の焦点部に水を入れた鍋を置いて温める)も設置されている。試しに焦点部に手を差し伸べると結構熱い。

 休憩の後、ここから300mの急登の登りである。40分ほどで登り切ると、広々とした高原にでるがここにはエベレストで亡くなった人達の慰霊碑がたくさん並んでいる。雪が少し積もっている。今回初めて間近に見る雪である。ケルンとチョルテンが築かれ、タルチョーが風に舞っている。大きなカールの中を左に正三角形の美しき山容のプモ・リ(Pumo Ri 7138mH)、右にメヘラピーク(Mehra Peak 5950mH)の雄大な景色を見ながら歩いて行くとクーンブコーラ(Khumbu Khola)の支流が見えてくる。程なくロブチェ(Lobuche:4,930m)に到着である。本日はナショナルパークロッジに宿泊。

※タルチョーはチベットにおける仏教伝来以前のボン教の時代からの伝統の祈祷旗である。伝統的には木版印刷によって柄は作られている。五色の順番は青・白・赤・緑・黄の順に決まっており、それぞれが天・風・火・水・地すなわち五大を表現する。

ロブチェ チュクン カールの中を歩く チョラツォ
数少ない案内標識 左ロブチェ 右チュクン→ 広々としたカールの中を歩く→ 左手(西)にチョラツォ→
ペリチェの村 遊牧小屋 チョラツォ湖
後方には下方にペリチェの村が見える→ 夏の放牧時の仮住居→ 写真の右下に小さくチョラツォ湖→
トクラ トクラ 太陽光集熱装置
橋で沢を渡るとトクラ→ トクラで屋外での昼食→ 太陽光集熱装置 ゾッキョと人で混雑→
アマ・ダブラム、カンテガ トクラのロッジ きつい登り 慰霊碑群とアマ・ダブラム
アマ・ダブラム、カン・テガ 下にトクラのロッジ→ 300mの登りの途中→ 登り切り振り返ると慰霊碑群とアマ・ダブラム→
慰霊碑群 ヌプツェ モ・リ、リントレン、クンブツェ
前方にも多くの慰霊碑群→ 右側(東)にヌプツェを見ながらトレック→ プモ・リ、リントレン、クンブツェを見ながらトレック→
プモ・リ ロブチェのロッジ ロブチェのナショナルパークロッジ 典型的なトイレ
プモ・リをバックにロブチェのロッジ群→ ロブチェのナショナルパークロッジの食堂→ 標準的なトイレ 手前のバケツの水で流す→

11月7日 ロブチェ→エベレストB.C→ゴラクシェプ
 本日はロブチェ〜エベレストベースキャンプ〜ゴラクシェプまでの12Kmを歩くためロブチェ(Lobuche)を7:10に出発。雄大な山岳群を眺めながらクーンブ氷河の右岸のモレーンを右に見て登っていく。進行方向には三角形のプモ・リが継続的に見える。この辺りでは著しく形が変わっていくヌプツェなどど違って、見間違うことは無い。ゴラク・シェプ(Gorak Shep)のヒマラヤロッジで弁当の昼食をとるがお茶と握り飯を一つ食べるだけで後の食べ物は食べる気がしない。コカコーラを注文(450ルピー)して空腹を満たす。トレック中は飴、チョコレートを捕食として口にするが力が出ない。

 疲れた体にムチ打ちながら更にクンブ氷河の横を歩いていく。息苦しくなってくるので意識的に深呼吸を何度か繰り返す。教えてもらった通りに吐く時に意識を持ってお腹をぐぐっとへこまして肺に残った古い呼気を全部出しその後、大きく空気を吸い込む。高度を上げた後、右手下方に人だかりが見え出した。どうやらヒマラヤベースキャンプのようである。少し下り、到着。

 クーンブ氷河の中州にヒマラヤベースキャンプはある。ここでの気温は晴れているので13℃であり、全然寒くはない。小さなケルンが作られ、それにタルチョーが架けられている。見上げるとエベレストが頭を覗かしている。しかし、このB.Cからでもエベレストはまだまだ遠い。記念にその場の小石を持ち帰る。

 ヒマラヤベースキャンプの帰りはかなりくたびれて途中でサーダーに私のリュックを担いでもらうことにした。本日はかなり体力を消耗した。ゴラク・シェプ(Gorak Shep 5125mH)で宿泊。夕食も食欲は無く、無理に口の中に食べ物を入れるが吐きそうになる。本日の歩行距離は12Km。

ヌプツェ プモ・リ モレーン
朝日を受けるヌプツェ→ 朝日を受けるプモ・リ→ モレーンを見ながら→
クーンブ氷河 プモ・リ
多くのトレッカーと急登を登る→ クーンブ氷河は右側土手の向こう側で見えない→ プモ・リを前に多くのトレッカーが休憩中→
クーンブ氷河 ヒマラヤ ゴラク・シェプ
いよいよクーンブ氷河が現れた→ ヒマラヤが頭を見せる→ ゴラク・シェプが目前→
ゴラク・シェプのエベレストロッジ クーンブ氷河とエベレスト
ゴラク・シェプのエベレストロッジに到着→ 残雪を見ながら歩く→ クーンブ氷河とエベレスト→
エベレストB.C エベレストB.C ヒマラヤ
エベレストB.Cに到着→ 氷の上に岩が乗っている→ 右奥のヒマラヤをバックに→

11月8日 ゴラクシェプ→ロブチェ
  昨日のエベレストベースキャンプからの帰りのトレックはかなり疲労したので本日のカラ・パタール(Kala Pattar)登行は荷物をできるだけ軽くするため、リュックをロッジにおいてナップサックにウィンドブレーカーと水だけを入れて最小限の荷物で登ることにする。カラパタールの丘は下から見ると目前に見えるので大したことはなさそうに見える。特に終盤の岩場を除けば殆どは緩やかな土の登りである。しかし、400mの標高差は只者ではなかった。本日も途中からなかなか歩けなくなり、グループから遅れることになる。しかし一歩づつ足を進める毎に、「エベレスト」の姿が大きく間近に迫る。サーダーに励まされながらようやく今回トレッキング中で最高地点(5545mH)の登頂に成功する。気温は5℃。頂上は岩場であり、タルチョーが強い風ではためいている。しかし写真を撮るだけで疲れのためあまり周りの景色は覚えていない。遅れて到着のため早々に下山となる。エベレストB.Cと同様、もう2度と来ないだろうと思い、記念としてカラ・パタールの石を持ち帰る。

 下山後はゴラクシェプを通過してロブチェまで戻り、ここで宿泊。ロッジでは若い日本人の新婚夫婦が単独で来ていた。ハネムーンにこういったしんどい旅行を選択するとは花嫁さんも大したものである。

カラパタール プモ・リとカラパタール ゴラクシェプ
カラパタールに出発→ プモ・リの手前の黒い高台がカラパタール→ ゴラクシェプを左下見下ろす→
ヌプツェの奥にヒマラヤ プモ・リ
ヌプツェの奥にヒマラヤが見え出した→ プモ・リをバックに 他の人は遥か先に→ あぁ疲れたぁー→
エベレストとヌプツェ カラ・パタールの頂上 クーンブ氷河とアマ・ダブラム
左からアイスフォール、エベレスト、ヌプツェ→ カラ・パタールの頂上まであと少し→ 振り返ってクーンブ氷河とアマ・ダブラム→
カラ・パタール頂上とエベレスト エベレスト クーンブ氷河
カラ・パタール頂上でエベレストをバックに→ エベレストをバックに全員で→ クーンブ氷河を下る エベレストよ さようなら→
ヌプツェとヤク ロブチェ ロブチェの食堂
ヌプツェとヤク モレーンの中を無事ロブチェに帰着→ 夜の冷え込みに食堂のストーブの周りに集まる→

11月9日 ロブチェ→パンボチェ
 室温は1℃の中、起床。8時に出発。トクラからは来た道ではなく、西側のルートの広々としたカールの底部をなだらかに下っていく。草原にはヤクが放牧されている。勝手によそに行かないだろうか。またちゃんと帰ってくるのだろうか。要らぬ心配をする。左手にアマ・ダブラムがずーと見えている。ペリチェのMt.Kailash Lodgeで昼食を採った後、レスキューの医療センターに寄って行く。募金のためのT-シャツなどが売られている。この近所にはヘリコプター基地もあり病人が運ばれてくる。

 パンボチェのロッジの夕食でヤクの肉が出てきた。サーダーが手配してくれたらしいが結構柔らかくて今までのメニュー(基本的には肉は無し)と違っていたのでおいしく頂いた。今夕からアルコールが解禁となり、夕食時にロキシー(コップ/75ルピー)を飲んだ。低地に降りてきたため食欲はこの時点で回復してきて大分食べられるようになってきた。

※ロキシーはネパールの自家製の酒で各家庭ごとに味が違うらしい。米、シコクビエなどを主原料にして作られた蒸留酒

プモ・リ トクラ ヤク
プモ・リに別れを→ トクラに戻ってきた→ 立派なヤクが草を食んでいる→
ペリチェ ペリチェ アマ・ダブラム 医療センター
カールの底部をペリチェに向かう→ ペリチェ手前でアマ・ダブラムをバックに→ ペリチェにある医療センター→
カンテガ ヤクの糞
カン・テガ(右)に向かって下る→ 岩に貼り付け乾燥させているヤクの糞→ 延々と帰り道が伸びている→
ショマレ村 ショマレの村とアマ・ダブラム ヒマラヤリンドウ
ショマレ村でまだまだ入山してくる人達→ 振り返ってショマレの村とアマ・ダブラム→ 時々咲いている花(ヒマラヤリンドウ)→

11月10日 パンボチェ→クムジュン
 早朝の室温は6.5℃と暖かい。ツアリーダーから支給されていた高山病予防薬ダイアモックスも本日で終了した。600m下ってから、橋を渡り、デボチェ(Deboche)を過ぎてからは500mの急登な登りとなり、道端には大きなシャクナゲの木がたくさん群生している。花が咲く季節には花のトンネルになってさぞかし綺麗であろう。タンボチェを過ぎると下りになり、正面にはコンデ・リが見える。いったん谷まで降り、プンキ・テンガで往きの時に買ったパン屋で再び女性がパンを購入、またお裾分けを頂いた。テシンガで昼食をとる。

 左にエベレストビューホテルへの分岐を見て直進し、クムジュン(Khumjung)に近づくと学校から下校中の子供たちに出会う。みんな坂道も物ともせずに元気である。クムジュン村のヒドゥンビレッジロッジ(Hidden Village Rodge)に到着。建物は立派で綺麗な石造りである。さすがシェルパの里は裕福である。目の前の広場の奥には登山家ヒラリーが1960年に創設したサー・エドモンド・ヒラリー・スクールがある。ここまで子供たちは通っているのかなぁ。夕食時に昨夜の肉に味を占めたのかO女子がヤクの肉をオーダーする。すかさずみんなが寄って集って横取りする。今日もロキシー(コップ/150ルピー)を飲んだ。

ゴーキョ タンボチェ
ヤクを避けて→ 右上部の道はゴーキョへ 左の丘にはタンボチェ→ 仏門をくぐる→
ドゥード・コシ川
多くのトレッカーで埃っぽい→ ゾッキョ優先で混雑→ ドゥード・コシ川沿いに下る→
洗濯している民家の横をトレック→ 鍋などを売っているインド系の行商人→ 犬と一緒に学校から下校中の子供たち→
カン・テガ クムジュン アマ・ダブラム クムジュン
カン・テガの雄姿→ クムジュンから見るアマ・ダブラム→ クムジュンで泊まったヒドゥンビレッジロッジ→
ヒドゥンビレッジロッジの食堂 クムジュン チョルテン
ヒドゥンビレッジロッジの食堂→ クムジュンのヒドゥンビレッジロッジ室内→ ヒラリー・スクールの前のチョルテン→

11月11日 クムジュン→ナムチェ
 クムジュンから西に行き、クンデの丘に登ってからナムチェに降りるコースをとる。しばらくは急登を登り、尾根歩きになると丘のピークに到着。ここは石造りの5m四方の展望台となっており、ここからは360度の展望が開け絶景である。北からエベレスト、クムジュン村、アマ・ダブラム、カン・テガ、タムセルク、眼下にはシャンボチェの丘にあるエベレストビューホテル、シャンボチェ空港、南側にはナムチェの村、クスムカングールが眺望できる。ナムチェ近辺からの眺望ではこの場所が最高である。特に時間がない人はここの丘に登ればヒマラヤの景色が一望でき、お勧めの場所である。

 丘を下り、シャンボチェ空港にの西側に出る。この空港は舗装もされておらず、小石も多くガタガタの滑走路である。ナムチェに下るジグザグの道はまだまだ入山してくる人達で混雑している。

 ナムチェのスーパーマッケットに行くと何でも売っている。エベレスト缶ビールも330cc/200ルピー、サンミゲル缶ビール500cc/250ルピーで売っていた。アルコール解禁となっっているので早速買い求め、同室のYさんとエベレスト街道完遂を祝して乾杯を交わす。日本からはるばる持ち込んだ「つまみ」がようやく役に立った。

クムジュンの村 エベレストビュホテル エベレスト、クムジュン村、アマ・ダブラム タムシェルク、シャンボチェ空港 ナムチェ村
左手クムジュンの村 右手エベレストビュホテル→ エベレスト、下にクムジュン村、アマ・ダブラム→ タムシェルク、シャンボチェ空港 ナムチェ村→
クスムカングール ヌプラ、コンデ・リ エベレスト
ルクラ方面にクスムカングール→ 西にヌプラ、コンデ・リ→ エベレストをバックにガイド達と一緒に→
シャンボチェ空港とカンテガ ナムチェの町 シャンボチェ空港
シャンボチェ空港とカン・テガ→ 眼下のナムチェの町に下っていく→ 未舗装のシャンボチェ空港→

11月12日 ナムチェ滞在
 予備日である。トレッキングが順調に進んだのでナムチェで終日フリータイム。朝からは女性3人と男2人でナムチェの上部にあるゴンパを見学に行った後、時間はたっぷりあるのでもう一度ナムチェの丘に一人で登りに行く。今日も天気が良いので前回の時よりエベレストがよく見える。馬が1頭いたのでエベレストをバックに写す。左よりプモ・リ、エベレスト、ローツェ、アマ・ダブラム。

 昼からはナムチェの商店街を散策する。孫の土産にエベレストやカラ・パタールと刻印されたヤクの角で作ったキーホルダーを買う。最初は1つ150ルピーと言われたが最終的に値切って80ルピーとなる。ルクラでもそうであったように最初は店員が吹っかけた値段を言ってくる。この時のやり取りの駆け引きが楽しい。今日も缶ビール(銘柄:エベレストビール)を買い込む。

ナムチェからエベレスト
馬とタウチェ、エベレスト、ローツェ、アマダブラム→

11月13日 ナムチェ→パクディン
 早朝の室温は11℃とかなり暖かい。今日からは往きと同じ道をトレックすることになるので今まで見上げていた山々でなく、目線を下げてネパールの生活を重点的に見ながらトレックする事に心がける。休憩地のトップ・ダラ(梢越しにヒマラヤが見える所)で前方の稜線にお尻を見せた「たてがみカモシカ(タール)」が居るのをガイドが教えてくれた。残念ながらこちらを向いてくれない。お尻にお別れをし、砂埃をかぶりながら更に下って行く。

 パグディン(Phakding)のロッジではエベレストビール(330cc)は450ルピーで売られていた。高所にあるナムチェのほうが半額安い。サーダーに聞くと観光客には高く売りつけており、現地人であれば200ルピーで買えると言っていたのでお願いして買ってもらったが結局250ルピーであった。ここの女主人は商魂たくましく、テーブルに並べた銀細工を高い値段(サーダー意見)で熱心に売り込んでもいた。

ナムチェの商店街 ナムチェ パグディンでのロッジ
ナムチェの商店街よ さようなら→ ナムチェを離れる→ 花で一杯のパグディンでのロッジ→

11月14日 パクディン→ルクラ
 早朝の室温は5℃。少し曇っている。エベレスト街道は、今建築ラッシュであり、道沿いではあちこちで石組みの立派なロッジが建設されているが、それに反して一般の民家の多くは中がうす暗く、隙間のある建屋である。貧富の格差があるようである。しかしそこに住んでいる人達はあまり悲壮な顔をしていないように見える。

 最後の坂を上りきると目の前に懐かしいパサン・ラム・シェルパの記念門が見える。くぐり抜けるとようやく16日に及ぶトレッキングの終了である。宿泊するロッジ前で完遂記念撮影をする。皆さん、安堵と共にやり遂げた充実感で一杯である。

 ルクラの最後の夜は現地スタッフでさよならパーティを開いてくれた。「See You Again」と書かれた手作りのケーキとロキシー(焼酎)、チャー(どぶろくで酸っぱい)が飲み放題で、更にお世話になったスタッフ連中が踊りも披露してくれる。我々も踊りの中に入る。最後に全行程に亘ってのお礼としてスタッフ全員にチップを渡してお開きである。ここで現地スタッフ達ともお別れ。ロキシーは市販されていないためサーダーに頼んで1L/500ルピーで手配してもらい、ペットボトルに詰めて日本に土産として持ち帰った。

トレックが終了 最後の晩餐 ロキシーとチャー
ワァーイ 無事トレックが終了→ 最後の晩餐で踊るスタッフ→ ロキシーとチャー→
さよならケーキ 登録証明書 登録証明書
最後の日にスタッフが作ってくれたケーキ→ グループトレッカーの登録証明書の表紙→ 裏紙

11月15日 ルクラ空港→カトマンズ
朝一番に空港に行き3番機で飛び立つ。ヒマラヤ山脈がよく見える右側の席に座り、最後の雪を頂いたネパールの山々を観賞しながら順調に飛行。奥深い山中にも民家がちらほら見える。すごい所に住んでいるものだ。完全に自給自足の生活をしてようだ。飛行時間50分で無事カトマンズ空港に到着。

 昼食は全員ですぐ近くの中華料理屋でコース料理を食する。午後からは参加者の知人(ネパール人)がタメル商店街を案内してくれるのでホテルから凸凹の埃だらけの道を歩き、タメルの繁華街に行く。舗装は直しても手抜き工事ですぐに剥がれてしまうらしい。はちみつ店、カシミヤ店などに寄って皆さんそれぞれ土産として買った後、高級感のある喫茶店でコーヒーを飲んでホテルに帰る。

 ホテルでは実に久々の入浴をする。やはり暖かいお風呂は気持ちが良い。体もさっぱりする。トレッキング中は長いことシャワーをしないでも体がかゆくなることも無かったが垢は大分出てくる。口髭も大分伸びているが、記念にそのまま日本まで伸ばしたまま帰ることにする。

 夜はタメルにある日本食店(おふくろ)に食べに行く。久しぶりの焼肉定食(480ルピー)とお好み焼き(250ルピー)とエベレスト瓶ビール(485ルピー)を食する。アルコール以外の値段は日本の半額程度である。味は日本とあまり変わりはないが、調理は現地の人が行っていた。

11月16日 カトマンズ滞在昼食のダル・バート料理
 9時からこのツアの現地旅行会社が主催するカトマンズ、パタンの一日観光(1万円)に出発。ボダナート、パシュパティナート、パタン、カトマンズのダルバール広場を訪問して途中、ネパール料理の昼食をとる。どこの観光地もたむろしている人や観光客でいっぱいである。道路に信号機はほとんど無い。在っても点滅しているだけで機能していない。14時に終了。折角、カトマンズに来ているにも拘わらず、夜は昨日、日本食を食べに行けなかった人達を連れて再びタメルの「おふくろ」に食べに行く。本日はすき焼き定食とビール。

ボダナート:ネパール最大のチベット仏塔(ストゥーパ)見学
パシュパティナート:ネパール最大のヒンドゥ教寺院及びガンジスの支流であるバグマティ川沿いで火葬などを見学
パタン:マッラ3大国時代の古都などを見学
ダルバール広場:旧王宮や寺院とクマリの館などを見学

11月17日 カトマンズ→日本
 タメルでは軒並み商店で登山衣料が豊富でおまけに日本の1/3ぐらいの価格である。どこの店の前にも男衆が所在なさそうにたむろしている。店の関係者であるがどうも絡まれそうな感じで雰囲気がよくない(実際には何ともない)。夕方までは自由時間であるので市内巡りでタメル〜タヒティチョーク〜ニューロード〜アサンチョークとウィンドウショッピングをして、時間とルピーを消費する。昼食はタメルで凝りもせず日本食の「桃太郎」で野菜炒めと牛丼。色々小物を購入してホテルに着いた時にはベッドメイキング用チップしか残っていなかった。

 色々土産も買ったのでスーツケースに収まるか心配したが何とか詰め込むことができたのでトレッキング中に使用したダッフルバッグ(ポーターが無理やり袋に詰め込むため内部の防水処理膜がボロボロになっていた)はホテルで始末してしまった。

 18時から隣のチベットホテルでチベットの鍋料理+飲み物1本を旅行会社がご馳走してくれた。体調は回復していたのでたくさん食べて食事を終え、そのままカトマンズ空港に行き、香港ドラゴン航空(KA191便)で夜中にカトマンズ空港を出発。ダッカ経由で香港へ。

11月18日 
 しかし機内で下痢のため3度トイレに駆け込む。香港で皆さんにお別れの挨拶をして2時間待ちで香港からキャセイパシフィック航空(CX506便)で関西空港に向かう。機内では更に調子が悪くなり、胃がムカついてきて機内食はほとんど食べられなかったが缶ビールはちゃっかり2本頂いた(浅ましい人間である)。

 関西空港に到着後、検疫時に体調のことを申請しようと思ったが色々、事が厄介になると思い、そのままリムジンバスに乗り込み帰宅する。しかし、その晩には6度嘔吐して翌日医者に駆け込んで点滴を受け、2日間寝込んでしまった。その後、咳も1週間ほど続く。どうも「クーンブ咳」関連の風邪を背負い込んだようだ。香港から妻に注文して楽しみにしていた鍋はしばらくお預けとなってしまった。トレッキング中の食欲不振と帰宅後の嘔吐で旅行前と後では体重が5Kgも減少していた。

全般情報

  1. 随行スタッフはシェルパは4人(先頭52歳、サイド20歳、サブ40歳、サーダー28歳)キッチンボーイは6人、ポーターは6人とゾッキョ9頭である。
  2. この時期は乾期で、我々のトレッキング中は全日快晴で本当に絶好の登山日和であった。登山道は降雪も無く、乾燥しているため埃っぽい。反面、季節が良いためトレッカーで混雑する。
  3. 宿泊は日本の山小屋のように広間での雑魚寝では無く、原則、二人部屋のベッド付のロッジである。掛け布団はロッジ(費用?)によって有ったり無かったり。
  4. 必要品以外の荷物は旅行会社が支給してくれたダッフルバッグに詰めてポーターがゾッキョで運んでくれる。
  5. インナー(フリース)付きの羽毛の寝袋を貸与してくれる。十分保温力がある。これをトレッキング中、ポーターがゾッキョで運んでくれる。
  6. 夜は水枕に湯を入れた湯たんぽを提供してくれるので寝袋の中に入れると足元が温もり安眠できる。
  7. 朝はモーニングのお茶とビスケットを持ってポーターが起しに来てくれる。その後、お湯を入れた洗面器を持ってきてくれるのでそれで洗顔する。
  8. ロッジに到着時にはオレンジジュースをコップに入れてくれる。ジュースでうがいをすると良いらしい。
  9. 飲み水は毎朝晩、煮沸した湯を準備してくれるのでそれを飲み水とするのでペットボトルを購入する必要はなかった。
  10. 食事の準備はロッジの外でコック達が朝晩の寒い中、調理して食堂に持ってきてくれる。メニューは日本米の「粥」。梅干、塩昆布、漬物が定番で日替わりで色々出してくれる。飲み物はコーヒー、紅茶(チャイ)、お茶、ミルク(脱脂粉乳)を準備してくれる。食べ物は残っていれば無くなり次第、随時よそってくれる。
  11. 屋内トイレは基本、自分でバケツに汲んだ水で流す水洗である。拭いた紙は流さずに廃棄バケツに放り込む。屋外のトイレは乾燥葉っぱで被せるバイオトイレ方式?。
  12. WiFiは街道中ほとんどのロッジで使用できるが有料(300〜500ルピー/日)であり、パスワードを貰ってから接続可能となる。
  13. 充電はほとんどのロッジで有料(200〜250ルピー/フル充電)である。充電場所は主にキッチン内で行われるので個人ではできない。電源は220V 50HzでプラグはB、Cタイプ
  14. シャワーは有料(300ルピー)でガスで沸かしている所は問題ないのであるが太陽熱で温めているロッジではお湯が途中から冷たくなる危険性がある。
      (乾燥して湿度が低いからトレッキング中、汗を余りかくこともなくシャワーせずとも問題はない)
  15. 犬はあちこちにたむろしていたがいずれも道の真ん中でも堂々と寝そべっており、人間が通ろうがお構いなしであった。もちろん飼い主もいない。餌は近所の人が適当にあげているらしい。
  16. ほとんどのロッジの食堂には中央部にストーブが設置されており、夕方になると冷え込むため皆さんが部屋から出てきてストーブを囲んで談笑に花を咲かせている。しかし集まるのは日本人が多く、外人はほとんどが我慢しているのか、寒さを感じていないのか火に当たりには来ない。もちろんストーブの燃料はヤクの乾燥糞である。これが結構火力があり、暖かい上、臭みも全然無し。究極のエコである。
  17. 家庭酒のロキシー(焼酎)はロッジで注文すればコップ一杯/75〜150ルピーで飲むことができる。ロキシーは市販されていない。
  18. トレッキング中のパルスオキシメーターの結果は心拍数は100を超えることも度々あり、血中酸素濃度は75〜90位の範囲であった。やはり酸素濃度が足りない分心拍数が増えているようである。
  19. トレッキング中はポーター、ゾッキョなどと頻繁に出会うため道をゆずる事が多い。路上には糞が至る所に落ちている。
  20. トレッキング者は個人、団体と色々なケースを見かける。ドイツ人が多いようだがヨーロッパ、ブラジルなど世界各地から来ていた。欧米人のトレッカーは少人数のグループが多いが日本人の場合は団体さんが多く、よく出会う。エベレスト街道は日本の北アルプスと同様、トレッカーで混雑している。
  21. 充電するにもお金が必要なためリュックの上にソーラーパネルを載せているのを時々見かける。
  22. 男性はポーターからサーダーと出世し、お金ができたらロッジを建て、妻にロッジ経営を任せるのが多い。従ってロッジの主人はほとんどが女性である。
  23. トレッキング中の為替レートは1円=0.83ルピー位であった。使用貨幣は紙幣ばかりで硬貨は全く見ることはなかった。
  24. 心配していた寒さは朝晩は冷え込むが日中は日差しもあるので全く寒さを感じなくて、持参したダウンコート等は全然必要なかった。今回の期間(10〜11月)では日本の秋山登山程度の服装で充分であった。
  25. トレッキング道沿いの住民の生活状況はまだまだ貧しい生活をしているようだがみんな生活に困窮している様子は全然ない。
  26. 生活排水は豊富な雪解け水で流すだけの方式のためこれだけのトレッキング客が押し寄せる場所では今後の環境対策が必要と思われる。従って川の水は飲めない。
  27. 日本人の女性を妻にしているネパール男性が結構多い。これはネパールトレックの閑散期(厳寒期、雨季)に日本に出稼ぎに行きやすいためと思われる。
  28. 山岳地域では民族衣装を着ているのかと思っていたが男女共、結構カジュアルな服装で女の人もジャンパーとズボン姿がほとんどである。寒さと動き易さを考えれば当然かも。

感想
 総歩行距離は往復約120Kmにも及ぶトレッキングであり、よく歩いたものである。人間の小さな一歩の積み重ねに感心する。「ローマは一日にして成らず」の心境である。またトレッキング中は毎日快晴で真っ青な空に真っ白い山々がくっきりと映えており文句なしの天候であった。何方のお蔭であったのだろう。

 海底何千メーターから9000mまで隆起した地球の鼓動とその雄大な自然と共存する人間の逞しさを肌で感じる2週間であった。過酷な環境を諸ともせず、チベット、インドなどからはるばる人々、文化の交流が脈々として続いてきたというのも凄いことである。今回、何千年前から人々が通ったであろうラサからデリーを抜けインド洋までのシルクロードの一部を歩けたことは素晴らしい経験であった。もうこの年になると人生を変えるような衝撃はなかったが(笑)、悠久の地球の営みを感じたことは確かである。自然の偉大さと人間の逞しさに感動。

 一方、ネパールはアジアで最貧国と言われているが、首都であるカトマンズ市内さえも私が年少期(60年前?)の頃のような生活環境であり、ある意味懐かしい感じがする。ただこの奥地まで開発の手が入るには物流面からしてかなり時間を要するし、大変であろう。まだまだこれから発展する状況ではあるが、これ以上、近代文明に晒されて欲しくないというのが私の勝手な思いである。

 最大の反省点としては高山病になってしまった事である。食事が合わなかったことによる体力減が原因の一つであったと考えている。日本からインスタントみそ汁、ラーメンなどを持って行った方が良かった。どうも偏食では生存競争には勝ち残れそうもないようである。

 11月前半のネパールでは花はほとんど咲いていないので次回トレッキングに来ることができれば花のシーズンに来たいものである。

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